『求道語録』

 先日、圖らずも福永武學兄より『求道語録』(昭和四十二年三月十日「大東塾出版部」發行)を複數册御惠投いたゞいた。
 以前にも拜讀したことのある此の良書、うつかり知人に貸出したところ、再び小生の許に歸することのなかつたものである。其の喜び大なるかな哉、福永兄へ幾重にも感謝申上げ度い。
 其の日、宛ら舊友と再會したかの如き嬉しさと共に味讀したのであつた。

 讀後、ふ、と氣付いたことがあつた。
 どれもこれも一語一句をゆめおろそかに讀む能はぬは云ふまでもない。その中でも、嘗て非常に感銘を承けた玉言も然り乍ら、新たに出會つたかのやうな印象を承けたものも尠くないことであつた。大袈裟に云へば、同じ本であるか乎、とも思へた次第である。

 印象深き玉言の總てを今こゝに列擧すること適はぬが、幾つかを謹んで掲出すれば、

『人力には限度がある。神力には限度がない』(第二章)

『德を積め、特に陰德を積め』(第二章)

『「死にきる」ことだ』(第七章)

『政治は勿論大切だ。しかし政治以前のものがもつと大切だ』(第七章)

『敗戰は、「天のフルイ」だ。ここで「ほんもの」と「にせもの」とが「天のフルイ」にかけられて、はつきりとする。ごまかしは出來ない。これはいいことだ』(第十章)

『「終戰の大詔」は「再建の大詔」であり、「第二の建國の大詔」だ』(第十章)

 等々である。


 嘗ては、

『「一人國を興す」ていの大氣魄を』(第一章)

『いいことは眞似でもいいからやれ。一生懸命にやつて居れば、そのうちに獨創性が出てくる』(第二章)

『富士山に對してはづかしくないやうな人閒になれ』(第三章)

『火花の散らぬ樣な、なまぬるい勝負をするな』(第五章)

 以上の言葉に殊、強い衝撃を受けそして傾倒した。
 尤も、今でもかうした言葉を、常の心得として忘れぬやう自分なりに心掛けてゐるつもりだ。

 
 犬馬の齡を重ねる小生でも、光陰と共に遲し乍ら成長してゐるとのことなのだらうか乎。
 そして十年後、『求道語録』は、再び、別な本かとの錯覺を與へるのであらうか乎。

 小生の生涯手放せぬ一册である。


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by sousiu | 2010-03-21 15:15 | 先哲寶文

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