皇神を畏れ奉らん

 維新といふを、政治體制の變革と考へるは愚かである。
 即今、坂本龍馬先生をはじめ幕末への關心の高さか、民主黨も何となれば好んで維新を口にする。笑止千萬だ。

 凡そ我ら人ごときの權や智、況はんや數や力なぞで行はむとする變革は、結果の如何に關はらず維新ではない。
 神慮洪恩のもと、天業を翼贊せむと祈祷熱願する民草の丹心が確乎一體となつてこれを成す、それが維新である。

 積年に亙り民族墮落を獎勵し、腐敗を默過した自民黨政權が昨夏もろくも瓦解した。
 この大手柄は民主黨によるものであることゝ我々は認めねばならない。
 だが、日本は何が變はつたのか乎?相も變はらず魑魅魍魎は跋扈し、土蜘蛛はその蠢動を逞しうしてをるではないか。
 選擧とは、即ち權益者の單なる優勝劣敗に過ぎず。禽獸の繩張り爭ひのやうなもの。過去に於ても未來に於てもこれ以上でなければこれ以下でもない。
 とは云へ、此度びの政權交代は、政黨批判の限界を我々に敎へ、維新とは何かを冷靜に考究する機會を與へたのである。


 貞永元年『御成敗式目』はかう白す。
神者依人之敬增威、人者依神之德添運』と。
「神は人の敬によつて威を增し、人は神の德によつて運を添ふ」とかういふことである。

 だのに神の子と自稱せる者に問はば。日本を神國と唱ふる者に問はば。
「我が國に軍隊が無いのは、憲法第九條の仕業ざが爲め!」と左樣に答ふる者がある。
 噫。明治維新は去つて遠し、と云ふほかない。軍について語らせるにこれである。
 畢竟、人力に對する過信であり、何處までも人爲的權力の信奉者なのですな。
 おかしなゝゝゝゝ自稱保守派、市民運動家はまさに魍魎(すだま)。徒らに人を迷はせしもの。

 我が國に軍隊が無いのは、神意にほかならない。我が國民の精神が再び健全溌剌となれば、然る可くの神慮と靈導の御誘掖を得られ、神軍は再び萬國の眼前にその稟たる隊伍をあらはし、快刀亂麻を斷つ可く宇内に平和を齎すであらう。小生はかう信じて憚らぬ。總ては神意なり也矣。

 ならば目下、我らの爲す可きことは何事か乎。おのづと答へは明瞭である。

 仙臺の學友・坂田昌己賢兄の發言に斯くの所感を以て歡迎の挨拶と致し度い。
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by sousiu | 2010-03-22 20:56 | 日々所感

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