聲涙倶に下る

 起床し、洗顏。歩いて二分ほどに鎭坐されます産土神社を參拜。

 昨日、幼馴染でもある杉元勝也氏が、軍歌・戰時歌謠のレコードを自宅に屆けてくれた。
 彼が大切にしてゐたものであるがプレーヤーが無くなり、聽くことが出來ないので小生に、と。
 中には年代物で貴重なものもあつた。感謝。

 時代はデジタルである。平成生まれの若者は、レコードを見たことない人達も多いと思ふ。
 本が賣れない時代だ。インターネツトの普及は多くの恩惠を社會に齎せたが、失はせたものも同じく多い。

 文字もそのひとつである。

 實際にインターネットで表記する能はぬ字も尠くない。
 備中處士樣のコメントにて氣付いた方も多からうと思ふが、[金+獲の右=くわく]はネツトで表記することが出來ない。備中處士樣は苦慮のすゑ、斯樣な表記をしたものだと恐察する。
 先日、知人から指摘されたのだが、このブログ、パソコンからは「神」といふ文字が表記されても、携帶電話からは見ることが出來ないさうだ。事實確認してみると、確かにさうだ。その一文字が空白となつてゐる。携帶電話では「神」しか出て來ない。

 本を讀まず、インターネツトに頼れば、その内に消えゆく文字もあるかも識れない。
 [金+獲の右=くわく]而已爲らず、「神」といふ字も軈て解讀不能となり、『誤字ですよ』と指摘されかねない。
「神」と「神」では文字の持つ眞義が全く異なつてしまふのだ。

 小生は「それも仕方ないぢやん」と云へるほど、デジタル文化を獎勵してゐない。
「ならば如何せい、と?」と思はれる諸君もをらう。
 小生は、ネツト文化を排斥しろ、配信會社を抗議しろなどと云ふでない。

 本を讀む樂しさを忘れずに、と云ひたいだけなのである。
[PR]

by sousiu | 2010-03-26 11:46 | 日々所感

<< 敬意もて拍手す 相原修之命 >>