人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日本精神練磨に精進を

 起床、産土神社參拜、豆乳を購入。快晴。
 昨日は慌たゞしく、更新する能はず。

 戰後體制と訣別せよー。尤もなる主張である。
之を達成可能たらしめるに、非難し一刀兩斷す可きあるは何ぞ。

 そこで具體的なる疑問があるを呈す。
 我が日本國民は「戰後體制」の犧牲者であるの乎?或いは加害者であるとまでは云はねど共謀者であるの乎?

 思ふに非難される可きは、その「戰後體制」のみ而已ではあるまい。


 蘇峰徳富猪一郎翁曰く
『併しかく云へば、徳川幕府は日本國民に、大なる不幸と詛(のろ)ひとを與へたのみかと云ふに、決して然らず。凡そ今日に於ける、善にせよ惡にせよ、日本人氣質(かたぎ)なるものは、この二百五十年の間に養成せられた。徳川氏が日本精神を製造したとは云はぬが、これを鍛錬し、これを陶冶し、これを今日の状態に至らしめた。約して云へば武士道がそれである。我等は或る意味に於ては、この二百五十年間の一大訓練に向つて、徳川幕府に感謝すべき、若干の理由の存在する事を忘れてはならぬ』)※文中括弧()は小生による。


『即ち感謝すべき材料の一二を擧ぐれば、日本人に遵法的精神を盛んならしめたる事。秩序を重んずる事を知らせたる事。信義を守る事を知らせたる事。廉潔を重んずべき事を知らせたる事。艱苦缺乏に耐ふべき習慣を養成したる事。忠孝の大義を一般に普及せしめたる事等である。併し悲しい哉今日では、この我等の祖先が養ひ來りたる、日本人氣質なるものは、何處に飛び去つたか。恰かも紛失したる現状である』(『勝利者の悲哀』昭和廿七年九月十日「大日本雄辯會講談社」發行)と。


 我らは蘇峰翁の「徳川幕府」を「戰後體制」に置き替へて、現代を考へる可きである。
 自民黨から民主黨政權に至れる戰後體制にあつて、その批判に明け暮れるばかりでは、埒の空かぬは自明であらう。左樣な時代であるからこそ、理想を掲げ、國學を發展し、我が精神を鍛へねばならぬのである。


 前囘のコメントに續投するやうであるが、民主黨體制打倒の幟旗を掲げると共に、自身の内にも日本精神練成の幟旗を掲げたい。

by sousiu | 2010-03-30 18:43 | 小論愚案

<< 朝日新聞「淺沼事件50年 檢證... 3・28 民主黨に物申す神奈川縣大會 >>