若者よ、小事に心奪はれること勿れ

四月十一日。晴れ。

 弊社の河野敏明君が事務所に來て起こされる。共に産土神社へ參拜。
 そのまゝ義信塾が行つてゐる『横濱演説會』に參加する。

 いつもゝゝゝ下手な演説を披露するのは烏滸がましくもあるが、
平澤次郎先生曰く『喩へ野次を投ぜられるとも、唾を吐き掛けられるとも、天下に獅子吼せねばならぬ』、
 かう常々教はつてゐることが沁み付いて、愚論乍らもせめて憂國の熱情だけは、と訴へてゐるものである。

 固より「敬神尊皇」の心ばへは演説によつて涵養されるものでもあるまい。
 ゆゑに小生は「敬神崇祖」をスローガンとして用ゐることに尠からず違和感を持つてゐる。

 よつて「憂國の情熱」、これを市民諸賢と共有したいが爲めにマイクを握つてゐるのである。
 うら若き憂國の士の内には、演説が上手になりたい、と願つてゐる方もをらう。
 それがしは、弊社だけに限らず、そのやうな者にかう答へてゐる。
 -理路整然と話すことは大切だが、もつと大切なことは情熱を傳へること、と。

 我々は講演屋ではない。亦た、それを生業とするものでもない。そのやうな仕事は田母神氏にでも任せておけば良い。

 圖らずも、福永武學兄からうたについての御話しをうかがふに、
 兄曰く『うたとは不思議で恐ろしい。如何に綺麗な言葉や知識を縻ぎ合はせても、人の心には屆きませぬ。逆に餘り上手でなくとも人の心を打つものがあります。そしてそれが赤心であるかないかまで、うたはすべてを映すのである」と。
 言靈とはかう云ふものなのであらう。

 平澤先生も『我らの演説の面目は、上手か上手でないかではない。要するに心の發露である』と。
 この心得と共に今日まで頑張つて街頭に立ち續けることが出來たのである。


 ん?待てよ。
 しかしそんな小生、思ひ巡らせば、酒を飮んで叱責する平澤先生は充分存じてゐるものゝ、肝心の演説はこれまでたゞの一度も聽いたことがない。

 小生にとつて良き師であるのか否か、未だ答へが出せずにゐる。汗。
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by sousiu | 2010-04-13 15:27 | 報告

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