人気ブログランキング | 話題のタグを見る

異國人からみた日本人 ―フランシコ・ザビエル氏― 壹  

 皇紀二千二百九年(天文十八年)十一月付、フランシコ・ザビエル氏の書翰に曰く、

『予が知る限りでは、不信徒の國民中、未だ日本人に優る者はない。彼等は其類に於て、最善の者ぢや。彼等は行儀善く、温良にして、毫も意地惡がらず、而して驚く可く矜重である。彼等は何物よりも體面を重んず。概して貧乏ぢや。併し貴賤共に貧乏を恥とせぬ。彼等には吾等耶蘇教徒中に見出す能はざる、一種の特色がある、そは如何なる貧乏の貴族でも、金持の平民は、之を尊敬し、而して貧乏の貴族は、如何なる代償を得るも、金持の平民とは結婚を肯ぜぬ。彼等は富よりも、體面を尊ぶ。彼等相互の交際は、恭敬である。高下の差別なく、十四歳より双刀を帶び、之を尊び、之を頼みとす。彼等は侮辱の行動、若しくは輕蔑の言語に對して、一切用捨を爲さぬ。平民は貴族を敬し、貴族は其の領主に事ふるを光榮とし、而して甚だ從順である。此の如くならざれば、其の體面を失墜すと信ずるからであらう。酒は隨分飮むが、食物は節制す。賭博をせぬ、我有にあらざる物を獲んとするは、泥坊の始めと思ふからだ。人民の大部分は、讀み書きを能くす』と。

 愚案。ザビエル氏と彼の來日したる目的は扠措き。彼の日本人觀察による感想だ。
 固より彼が日本及び日本人を何處まで了解してゐたか知る由もないが、率直なる感想として、耶蘇會へ報告したる文書なれば、ほゞ正鵠を得てゐたのだと思ふ。

 四百六十年といふ時代の推移は悉く人を變へるのであらうが、日本人の本質と眞面目まで變はらねばならぬ理由がない。黒髮、黒瞳、黄色の肌、どれもこれも四百六十年前と同じではないか歟。

 だが、現今を覽るにつけ、我が政治家の内に一人として、異國人にザビエル氏の如く感想を抱かしめるだけの日本人がゐるであらうか乎。

 庶民の側も然り。
 主に反日國家をはじめ、他國に對し、あらむ限りの罵倒をネツトで書きなぐり、悦に入る御仁が量産されてゐるさうだ。そのやうな事に毎日の貴重な時間を費やしたとて、毫も天下は動じる能はぬばかりか、日本が尊重されるのゆゑもなければ、先づもて正しい日本人となるやう努めよ、と云ひ度い。若しも、罵詈雜言の連發も與論喚起の一助、と考へるならばそれ、日本人としての「品位の失墜」をだらしなく普及たらしめることに他ならず、いづれにせよ、おやめなさいと苦言する。

 支那であれ米國であれ南北朝鮮であれ、それを糾彈することには異論はない。
  しかし忘れてはならぬことは、糾彈される側よりも、むしろ糾彈する側に魂の高位、理想や思想の純度が求められてゐるといふことである。

 政治家の内も庶民の内も、著しく、弊履を棄つるの如く日本人の本領を喪失したと歎息せざるを得ない。
 ゆゑに「祖先の精神の氣風、威嚴を恢復せよ」と繰り返し訴へるのである。



 大川周明博士曰く『その敵を克服するためには、その敵よりも勝れる高貴なる思想に奉仕せねばならぬ』と。

by sousiu | 2010-04-17 21:09 | 小論愚案

<< 異國人からみた日本人 ―フラン... 小生の「振り假名奮鬪記」 >>