徳富蘇峰翁、文章報國のひと 

 晴れ。今日は暖い。この頃、起きてみないことには暖いのか寒いのか皆目見當が付かぬ。
 服など一切氣に留めない小生には凡そ縁の無き惱みが、殊に若い人たちには毎朝生じてゐるのではないかと考へ少々氣の毒であると思ふ。


 今年に入つて夢中になつて讀んでゐる本がある。
 徳富蘇峰翁の『近世日本國民史』だ。
 織豐時代から始まり、徳川權勢、孝明天皇の御代を經て明治時代で完結する。
 全部で百卷ある。文庫本も出てゐるやうなので、入手は難しくない。しかし小生はどうも現代假名遣ひは味氣なく感じるので、專ら古書に限定し讀んでゐる。その爲め、思ふやうに入手する能はず、なかゝゝ意の欲するやうには讀み進むことが出來ない。
『近世日本國民史』は、登場人物の日記や書翰なども豐富に掲載し、詳細に亙り歴史を檢證してゐる爲め、非常に讀み堪へがある。
 驚く可きは、蘇峰翁の膽識よ。昭和廿七年、頽齡九十、第百卷を以て完結した。同史に注いだ筆力、百五十字詰原稿用紙で延べ二十三萬枚といふ。


渡部昇一氏『眞の戰鬪者・徳富蘇峰』にて敬意を表して曰く、
『「近世日本國民史」はまことに驚くべき歴史である。それは、間違ひなく日本が世界に誇つてもよい著述の一つである。蘇峰は最初「明治天皇御宇史」を書くつもりであつたが。ところが明治史を書くためには幕末を書かなければならない。つまり「孝明天皇御宇史」が必要である。しかもそのためには徳川時代を知らねばならず、徳川時代を知るためには豐臣時代を知らねばならず、豐臣時代を知るためには信長を知らねばならぬ、と言つた具合で、建武の中興あたりが明治維新の遠因になるとした。しかしそこから始めたのでは明治まで書くことができないから、取りあへず信長の時代から書き出したといふわけである』

『そして大體の腹づもりで本論の明治天皇御宇史に五十卷を當て、その序論に當る孝明天皇御宇史に二十卷、序論たる織田・豐臣・徳川篇に三十卷を當てる豫定であつた。ところが實際には孝明天皇崩御篇までが六十二卷なのであり、殘りが明治の最初の十一年間のための三十八卷といふことになる。序論六十二卷、本論三十八卷の歴史を獨力で書いた人間がこの世にゐることを私は寡聞にして知らない。この明治天皇の御宇史に寄せた彼の異常な熱情とエネルギーが、結局は新聞人としての彼を失敗に終はらしめたのである』(『生誕百三十年記念 徳富蘇峰』平成五年三月十五日「財團法人 蘇峰會」刊行に所收)と。


 その徳富蘇峰翁、『近世日本國民史~織田氏時代・前篇~ 第一卷』(昭和九年九月十日發行「明治書院」版)冒頭の「修史述懷」にて曰く、
『予は本年五十六歳である。文章報國は、予が晩節の天職である』と。
そして、
若し予が私史にして、我が大和民族の精神的食糧となり、我が大日本帝國興隆の不盡的泉源となるを得ば、予が渾身の肝血を、此に向て絞り盡すも、肯て悔ゆる所はない』と。

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by sousiu | 2010-04-19 17:52 | 先人顯彰

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