日々所感

 五月五日 晴れ。夜、急遽泰政會々長・杉元勝也君の自宅へ。

 彼は三月にスキーで足を骨折し、未だ完治に至らず。御見舞ひに伺つた次第である。
 杉元君とは同じ小・中學校に通つた幼馴染みである。彼の育つた藤澤市大庭の團地は、小生の住んでゐた團地の正面であつた。今では尠くなつた卅年以上もの舊友だ。
 よつて彼と會つてゐる時は運動の話しといふより寧ろ世間話しが多い。大人になるにつれて、かういふ時間が極端に減つてきたやうに思ふ。
 氣が付けば深夜。久し振りに樂しい一ト時を過ごした。
 今月中旬には精密檢査を行ふと云ふ。彼の平癒を祈るばかりだ。



 五月六日 晴れ。

 第九百八十五囘・時對協定例會出席。
 沖繩縣普天間基地のの問題から國體論について。

 終了後の懇親會は、御馴染み、新橋驛近くガード下の「養老の瀧」。
 日蓮批判に喧々囂々とするころ、青年思想研究會の平澤曉男・鹿島政晴兩副議長の奇襲にあつた。
 二人とも青思會定例會後の懇親會の歸りであり、既に米突(めいとる)が上がつてゐた。ことに鹿島先輩は昔から醉つ拂ふと小生に御説教するのが常である。
 烏龍茶で過ごす小生は適ふ筈もなく、鹿島先輩の猛攻撃の前に防戰一方であつた。汗
 不圖、我が時對協きつての酒亂、ではない、酒客、平澤次郎翁に目をやると、いつもの調子に非ず。小生を救出す可くの援護射撃が無い。
 翁、終了後の歸路に曰く「酒飮みは、他人に先に醉はれると如何もいかん」と。
 此の日は我が時對協の完敗であつた。

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※上。眞珠灣攻撃の如く時對協による先制攻撃の圖。然し乍らこの後、鹿島先輩による孤軍挽囘は我が時對協をおほいに困惑せしめた。


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※上。日本革新黨・平澤曉男、言論同志会・平澤次郎兩先生。なるほど次郎翁は醉ひきれてゐない。



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※上。盛義一、市村悟兩兄に挾まれる猶存社・鹿島政晴先輩。兩兄の表情に比して既に我が世の春の如し。




 ところで「天地無邊」、小紙乍らも毎囘尠からず感想の玉翰を頂戴する。
 批判も含めて、どれもみな嬉しい限りであるが、その中にこのやうな手紙があつた。
『「天地無邊」春季号拝受。私は当用漢字しかかけなくなりましたが、旧字の方が読んだときの感じが深く、やはりすばらしいところがありますね。『神社新報』や『天地無辺』の存在は貴重です」(ママ)と。
 差出人の御承諾を得てゐない爲め、御尊名は伏せねばならぬが、現役で御活躍される作家である。
 出來の惡い子は譽めて育てよ、とした過分なる御厚情あつての御言葉であらうが、兎に角、微力と雖も現代漢字・假名遣ひに對する抵抗は無駄ではなかつた。

「萬里の道も一歩から」である。
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by sousiu | 2010-05-07 22:15 | 日々所感

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