日露戰爭實記  貳  

明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『一  噫此の將士』

 明治三十七年十月十一日は、彼の沙河會戰中在つて、我が近衞後備旅團の最も奮鬪苦戰して殊に其の第一聯隊第三中隊の如きは、戰鬪未だ數時間ならざるに中隊の人員は、僅かに小泉中尉以下廿名を殘すのみなりき、此の時に當つて、勇壯義烈、人をして感歎措く能はざらしめたるもの、之れを同隊附故歩兵上等兵田卷松藏氏其の人と爲す。

 田卷上等兵、彼れは平常より寡言剛膽にして、事に當りて聊かも動ぜざるの風あり。此の日此の時下士勤務を以つて、一分隊を指揮し、陣地の突角部に在りしが、今や我が軍の死傷漸く夥多しくして、戰線次第に薄弱に陷り、士氣爲に沮喪せむとするを見るや、決然陣頭に進み出でゝ、悠々其の場に安座し、徐ろに部下を顧みつゝ、『小癪ナ露助奴、彈丸が恐くて戰鬪が出來ると思うて居るか、撃てば撃て、突かば突け、日本軍人の度胸骨には、彈丸は通らぬ、刄は立たぬ、守れや諸君、一歩も退くナ……』と、言ふ聲常の如く、逼まらざる事神の如し。

 噫、勇士、天晴れ無双の田卷上等兵よ、かくて敵彈の猛射も、遂に上等兵を動かす能はずして、戰鬪益々激烈を極めつゝあるの際、一彈側面より來りて、上等兵を襲ふと見る間に、上等兵は敵方の斜面に顛落せり、かくと見るより部下の兵は、走つて之れを救護せむとせしも、敵は三面より十字火を注ぎ來つて、又如何んともする能はず、相顧みて唯腕を扼するのみ。時に小隊長小泉中尉は、散兵線を巡視して、突角部に出で、彼れ敵情を偵察せんとするに、頭部と足部に重傷を負うて顏面、被服悉く血漿を以つて塗れ、氣息已に斷えなむとする、田卷上等兵が、血潮に染まりし其の左手を揚げ、何事か頻りに報告する處ある如し。部下の悲慘の此の状況を目撃したる、中尉の胸中其れ果して如何なりしぞ、直に之れを救助せんとすれば、上等兵は其の目を瞋(いか)らし。手を振りつゝ、切に危機の近けるを告ぐるに似たり。而してまた其の前面を指すを見れば、我れに十數倍せる敵兵は、今や我が陣地に向つて突撃を試みんとするの情を示して、僅々二百米突(めーとる)以内に逼り來れり。危機其の間實に一髮、上等兵の目を瞋らし其の手の振るもの蓋し垂死の境に在つて、尚ほ其の隊長を援護せんとするの意にあらずや。

 去らむか彼れ死すべし、去らざらむか彼れの衷情を如何せむ、而して敵兵は漸次に近き來れり、隊長聲を勵まして曰く、『田卷シツカリせよ、今敵を撃退して助けてやるぞ……』と上等兵は此の言を聞き、口言はんと欲して、音聲發せず、身起たむとして、四肢力なし、唯僅かに其の手を左右に振るもの、思ふに之れ自己の已に救ふ可からざるを訴うるものにして、而も左手尚ほ敵方を指して、切齒憤慨禁ぜざるものゝ如し。
 
 此の時に當つて、敵は猛然として突撃し來れり。中尉以下激戰奮鬪、僅かに其の前進を拒支し、相距る五六十米突を隔てゝ、日沒に至れり。於是(こゝにおいて)中尉は自ら岩角に下り、匍匐して上等兵を搜索すれば、哀むべし、流石勇悍なりける田卷上等兵は、右手(めて)に堅く銃を握り千萬無量の恨みを殘して、已に瞑目せるの後なりけり。噫此の將士、陣中語り傳へて何日も涙の種とそなりける。

(文中、振り假名は小生による)


二 に續く
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by sousiu | 2010-05-20 18:09 | 良書紹介

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