日露戰爭實記  肆  

明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『三  此の中尉と一等卒』

 小泉中尉と田卷上等兵が、敵前に於ける悲壯なる動作は前章之れを記せり。而して茲にはまた此の中尉と、此の一等卒あり、記し來つて涙痕(るゐこん)紙に乾く間もなし。

 十月十一日に後(おく)る事十六日、此の月廿七日、後備歩兵第廿九聯隊第二大隊は、歪頭山を攻撃して、頑強なる敵と會し、戰鬪漸く酣(たけなは)なり。是に於て山岡大隊は之れが應援として、左翼に連繋動作せり。當時歩兵少尉上林五助氏は近衞後備歩兵第一聯隊第八中隊に屬して、歪頭山の西南面より、同山中央高地に向つて進めり。然るに該山は斜面急峻にして、岩角凸出し、雜草之れを掩ひて、攀登(はんと)頗る困難なれば、部下やゝ躊躇の色なきにあらず、少尉此の情を見るや、先づ自ら其の靴を脱し、大乎して曰く、余を見よ、今や靴を用ゐず、と其の意蓋し決死を示せるなり。亦之れに勵まされて、共に相助けて、一氣に敵前五十米突に近接し、盛んに敵を猛射したるも、而も敵兵頑強に死守して降(くだ)らず、戰鬪は、刻一刻より猛烈を極め、死者續出して、光景甚だ悲慘なり。少尉扼腕、同僚少尉六角三郎氏を促がし、進むで敵に突入せむとするや、一彈少尉の額に命中し、勇ましき少尉は『前へ』と叫びて殪(たふ)れぬ。之れと同時に一等卒高師三之助氏も亦、敵彈の爲に頭部に負傷せしも屈せず、少尉の繃帶を施し、之れを抱きて他に移さむとすれば、少尉は『萬歳』と叫びつゝ逝けり。少尉臨終の此の一言の、如何に彼れが心肝に徹したるか、彼れは尚ほ容易に亡き少尉が傍を去らず、涙に曇る其の聲を振り立てゝ、『少尉殿萬歳』を連呼し居たるが、やがて突撃喇叭の聲を聞くや、一等卒は蹶然突進して、衆に擢(ぬき)むでゝ先頭に在る事約三十米突、逸(いち)早くも同山の最高點たる、三聖廟に到達し、右手(めて)には乃(すなは)ち銃を携へ、左手(ゆんで)には高く帽り振り翳して敵に面して、萬歳々々と連稱し居たるが、已(すで)にして大隊の同處に到着するや、唐家屯東北高地の敵砲は、茲に三聖廟を目蒐(めが)けて、急射撃を送りしかば、孰れも皆な掩蔽(えんぺい)の位置に移りしが、獨り負傷せる彼れ一等卒のみは、是れ我が上林少尉の吊(とむらひ)合戰なりと稱し、敵の砲撃を停止する迄、居然として同位置を去らず、やがては敵の敗走兵に向つて、頻りに之れを射撃しつゝ『少尉殿、私が敵を討ちました』

(文中、振り假名は小生による)


(四)に續く
[PR]

by sousiu | 2010-05-20 22:11 | 良書紹介

<< 日露戰爭實記  伍   日露戰爭實記  參   >>