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「尊皇攘夷」について  壹  

徳富猪一郎翁曰く、
『尊皇攘夷は此の如く、大義名分の上から、學者の研究問題として宣示せられ、やがては現在の政治問題として討議せられ、遂ひに志士の活動事件となりて實現せられた。之を時代的に云へば、天保、弘化までは、研究問題であつた。嘉永安政までは、政治問題であつた。而して萬延、文久、元治、慶應に至りては、實行問題となつた。尊攘の文句は、何れの時代も同一であるが、其の主義と手段とは、亦た時代と共に變化した。而して其の文句が、愈よ實際運動の旗幟となつたのは、文久、元治の間であつた』

 曰く、
『~從前通りに關東へ政治一切の御委任を金科玉條としたる井伊直弼輩はいざ知らず。苟も時勢の變遷と與に、徳川幕府開始の當初に於ける制度に、一大更革を必須とするを識認する者に於ては、朝廷を無視して、幕府が獨斷專決にて締結したる條約は、正當の條約にあらずと斷定したるは、固より當然の結論とせなばならぬ。
然るに愈よ攘夷の實行となれば、とても言ふ可くして行ふ可からざる事。其の當面の責任者が、逡巡、狐疑、前へ一歩、後へ一歩、一切煮え切らぬ態度を見ては、此上は致方なし、先づ將軍を血祭りとして、直ちに攘夷の手始めをせんと敦圉き來るもの出で來りたるは、是亦た決して不思議はない。此の如く外國に向つて我が國權を伸張する能はざる幕府は、國家の賊なれば、倒幕それ自身が、乃ち攘夷の先決問題だと判定し、尊皇攘夷は一變して、倒幕攘夷となり、更らに二變して倒幕尊皇となり、此の如くして凡有る勢力は、倒幕の一點に集注するに至りたるは、文久の後期から慶應前期の趨勢と見て、大過なからむ歟』と。(『近世日本國民史~尊皇攘夷篇~』昭和十年七月十七日「民友社」發行)


 愚案。抑も我が國民は必ずしも攘夷家では無かつた。我が上古の歴史に於ても東亞細亞諸國との交流は盛んであり、開國進取を專らに、之をして獨立の精神、固有の文化を養生し來つたことは明らかである。否、寧ろ外國人を優待する傾向にあつた。「世界皇化」の眞なる理想を達せんが爲めに、鎖國も外人排斥も、之に逆ふ以外の何物でもない。逆ふと云はずんば、邪魔する以外の何物でもない。~續く~

by sousiu | 2010-07-01 15:14 | 小論愚案

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