「尊皇攘夷」について  貳  

 ~承前~ 而して朝鮮人、支那人、印度人らへの優待は、時と共に外國人崇拜となつた。
戰國時代の末期ともなると、葡萄牙人、西班牙人、英吉利人、和蘭人に對してさへも崇拜の接し方を行なつた。日本人による崇拜視は自らを危險ならしめた。彼らは自國の宗教を日本に持ち運び、この宣傳と擴張を專らにした。恐ろしき陰謀を内包しつゝ。

 かくして耶蘇教禁制は行なはれた。すると彼らは叛亂に次ぐ叛亂をもて、これに抗じ來つた。其の勢ひの極はまるをみて、我が國は鎖國を餘儀なくされた。
 從つて、我が鎖國政策は我ら日本人の本質が造せたものでなく。詰るところ、外人、若しくは外國が日本人をして鎖國するの已むなきに至らしめたと云うて差し支へあるまい。
 鎖國するに動機を與へたるは彼らなるも、我らは何故に鎖國てふ手段を選擇したりたる乎。
 そは、「國體護持」の爲め、この一語にある。

 しからば前記したる猪一郎翁によるところの「尊皇攘夷」をして、愚考するに天保・弘化は國體護持の研究期であり、嘉永・安政は國體に於ける政治的紛糾期であり、萬延より慶應は、國體明徴期であると結論付けることが出來よう。
「國體」を護持せんとした二百年前の幕府による鎖國政策が、皮肉にも自滅を導く引き金となつたのである乎。
 否。時代の趨勢と、四圍を取り卷く環境と共に、國體を護持する政治と手段が變應した丈のことである。
 肇國の久しきより永久の將來まで我ら日本人の第一義は絶えず「國體護持」である。それに比ぶれば幕府が消滅せん乎、否乎なぞは瑣末な問題でしかない。

 さて、猪一郎翁は研究問題、政治問題、實行問題と「尊皇攘夷」の推移成長に期を分割した。
果して現在はいつの期ぞ。我ら日本人の成す可きたるや奈何。
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by sousiu | 2010-07-01 15:48 | 日々所感

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