『日本を知れ』  徳富猪一郎翁著  貳 

 <承前>

「同」項『自然石と人造石との相違』に曰く、
『唯強ひて違ふと云へば、日本の歴史は自然に發達した。言うて見れば、同じ石ではあるけれどもが、日本のは岩、彼等のは鐵筋コンクリートである。即ち我々のは自然に出來、向ふのは人造で出來た。氷で言へば我々のは自然氷、向ふのは人造氷冷たいことは同じである、硬いことは鐵筋コンクリートでも岩でも同じである。併しながら我が日本の方は、歴史を三千年以來もつてをつて、自然に發達し。向ふは謂はゞ世界大戰後の國家、粉々擾々殆どが統一出來ないときに、英雄のムツソリーニ、英雄のヒツトラーが慨然として身命を賭して日本を模範として新しいところの體制を始めた。我々が向ふを眞似たんぢやない。向ふが我々を眞似たのであります』。


著書の末尾にて、蘇峰翁の曰く、
我國は相模太郎の如き男兒があつたのだ。昔あれば今日もある可き筈であります。昨年採れた松茸山には、今年も松茸が出來るのであります。昨年取れた竹林には、今年も筍が出來るのであります。北條時宗の如き日本男兒が、弘安四年にゐて、膽甕の如く、毅然として蒙古の襲來を斥けたとしたならば、昭和十六年には、決して一人や二人の時宗がゐるどころでは無い。一億の我等臣民が皆な北條時宗である。我等は既に其の覺悟が出來てゐる筈であります。これを以て私のお話を終りと致します」と。


 愚案。「此儘では日本は崩壞するぞ。滅亡するぞ。消えて無くなるぞ」とは、既に衆人の聞き馴れた脅し文句である。
 誰れぞ振り向く者あるべし。これが神州不滅を確信する能はぬ終末論者どものケチな口上であることは、以前當日乘で記したとほりだ。
 さるにても。蘇峰翁は、歴史家として一流の人であつたが、此の書を讀むに、アジテーターとしても一流の才があつたことに疑ひを容れない。

 現在、蘇峰翁ありせば、如何なる警鐘と奮起とを我らに與へたまうたであらう乎。
 これほどまでに齒切れ克く、希望を提供し、かくして人心を赫熱の如く燃え上がらせ、人をして振起せしむるだけの文言を、小生は現在の保守論壇から探すことが難しい。
 あちらもこちらも我が國の愚癡ばかり。左翼的反日主義者も、反日的左翼人も、左翼的愛國主義者も、愛國的左翼人も、胎盤を同じうする戰後の落とし兒だ。若しも疑ふ者あらば、戰後の政界をとくと觀よ。こゝに詳しく證されてをるではないか歟。最保守である筈の「自民黨」を、何びと是れが眞なる「救國黨」「愛國者一團」と信じる者ある。
 自稱反日も自稱愛國も詰まるところ至深處は同じ見識だ。神州日本を解つちやゐない。だから總じて自虐的だ。幻滅的だ。失望的だ。
 哀れなるかな哉、齒切れ克く恥部を晒すことにのみ而已巧みとなり。果たして愛國心が本道にあるの乎、否乎、小首を傾げざるを得ぬ自稱保守さへ現代に目立つ。
 
 政治家など概して期待出來得るものではないが、目下、保守派然り。小生は勿論然り、右翼のなかでも、蘇峰翁の目と口とを持つ者の尠くなりつゝあることが、國民を一層の不幸に貶しめてゐるのだ。噫。

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by sousiu | 2010-07-06 03:44 | 良書紹介

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