日出る國

 本日も聊か長文となるが、閑暇の折、諸賢の御一讀賜はりますことを。

清原貞雄博士『日出る國』(昭和四年十月十五日「精華房」發行)[東洋文明の淵叢]項に曰く、

『我が天孫民族がその大なる包容力と同化力とを以て多くの異民族を包容同化して大和民族と呼ばるゝ一大民族を構成した事は既に述べた所である。我が國民がその大なる包容力と同化力とを示す事が出來たのは啻に他の民族的要素に對してのみでは無い。他の種々の文化的要素に對しても同じ能力を充分に示して居る。

(中畧)我國は大陸の東端、島嶼の上に國を成して、航海術の發達せざる古代に於て永く孤立の有樣にあつた結果、文化の發達は、大陸諸國に比して遙かに後れて居つたのは止むを得ない事であつた。支那かぶれの一部儒學者が論じたやうに、支那の文化を輸入する前の我が國民は全く禽獸に等しき生活を營んで居つたと云ふ事は誤つた觀察であるにしても、支那に於て既に聖人の道開け、文字を使用し、天文學發展し、音樂を樂しみ、整備せる制度存し、或は指南車を用ゐ、或は萬里の長城を築く等驚くべき文化の發達を見た時代、印度に於て、廣大無邊なる佛教哲學の發達した時代、我國は未だ文字の使用を知らず、獸皮を着、穴に住む習俗尚ほ一部に殘つて居ると云ふ有樣であつたのである。
 然るに、それら進んだ大陸文明が我國に輸入せらるゝや、我國民の強烈なる研究心と、驚嘆すべき理解力と、大なる容包力と、換骨奪胎、之を自家藥籠中のものたらしむるに勝れたる特殊の才能とは、新しく輸入せられた大陸文化を忽ちに同化し、我固有の文化と融合せしめてこゝに一種の新しき日本文化を構成するに至つた。

(中畧)たゞそれは一面の眞實を含むまでゞある。之れを其のまゝ承認して我日本文化の價値を否認し去らんとするが如きは甚しき謬想である成る程我國は多くの外來文化を採り入れて居る。もし之をたゞ模倣的に採用したゞけであつて何等國民的色彩を之に施す事が出來なかつたならば日本の文化史には何等の價値もないと云へるであらう。然るに我國民の優秀なる精神力は決して斯樣な事を以て滿足したのでは無い。如何なる外來文化も、その強大なる同化力を以て必ず日本的のものたらしめなければ止まない。一面に於ては次々に押し寄せて來る外國文化の流れを悉く攝取して一も排斥せず、悉く之れを日本文化發達の資材たらしむる事に於て多々益々辨ずる事は我が國史上の一偉觀であつた。而も之に壓倒せられて在來固有の文化を養ふといふやうな事は決してなかつた
 斯くして廣大なる東洋の文化は、千數百年の歳月を經て悉く我が日東帝國に合流し、こゝに東洋文明の一大淵叢を作つたのである。

(中畧)固より歴史上の事實としては、外來の文化的要素を採り入るゝにその態度を誤り、無自覺なる模倣を事とした事がなかつたとは云へない。然し大體に於て吾等の祖先はよく國民的自主精神を把持し、外來文化に征服せらるゝ事なく、よく之を征服する事が出來た結果、上述の如く我國をして東洋文明の淵叢たらしむる事が出來たのである。
 明治維新以後、泰西文明を新に輸入する事になつてからは、新の綜合的東洋文明に加ふるに、新に全く性質を異にした所の文明を添加した。此新しき要素は輸入開始以來既に六十年餘年を經過した今日、幾分之を同化して、新日本文化の内容たらしむる事が出來て居るとは云ひながら、混一融合と云ふ點に於て未だ十分であると云ふ事は出來ない。國民の中には往々にしてその外來文化に征服せられんとして居るものもないとは云へない吾等は吾等の祖先に學び、新に輸入せられつゝある西洋文化をも完全に征服する事に依つて從來の如き、綜合的東洋文化の把持者から、更に躍進して必ず綜合的世界文化の把持者となる事を期し、十分なる自尊と自信とを以て奮勵努力する所がなければならぬ』と。

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by sousiu | 2010-08-04 18:21 | 良書紹介

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