承前、『日出る國』より

 前文に續き、『日出る國』より引用したい。
 恐察するところ此の一册に於て、清原貞雄翁の云はむと欲するは以下であらうと思はれる。

清原翁、[反省]項に曰く、
『以上、吾等は我が日本國の有する美點、長所に就て所有點から之を考察して自國に對する敬愛の念を培ひ、國民的自信を固むる縁としたのである。之に依つて我等は先づ確乎たる國民精神を把持しなければならぬ。然し乍らたゞに自國の長所美點のみを見詰めて、更に反省する所が無ければ、その國には進歩もなく發達もなく、缺點を改むるよしもなく、徒らに尊大自ら負うて遂には其國を衰亡に導く外は無いであらう』


 斯く掲げたうへで、一つに物資の缺乏を掲げ、生産と節約の國民的努力を訴へた。
 亦た、一つに我が國民の輕佻浮薄、附和雷同を指摘した。亦た一つに、諸外國の模倣のみあつて、研究・發明・想像の乏しき點を指摘した。亦た一つに、堅忍不拔の精神乏しき事を指摘した。亦た一つに國家的觀念の乏しさを看破した。亦た一つに、經濟思想の乏しさを指摘した。
 そして以下を指摘した。反省といふよりも、清原翁による警鐘である。


 曰く、『我が國民は未だ嘗て外國と戰つて敗れた經驗を有たぬと云ふ事である。之は我が國體の尊嚴なる所以であり、我が國の歴史として國民の最も誇とする所であつて、固より我國の短所では無いが、一方に於ては國民が未だ大なる試練を受けて居ないと云ふ事に就ては國民は大に考へて居なければならぬ。是迄の我國の歴史は神佑に依つて只榮光のみを有する歴史であつた。然し乍ら今や國際關係は複雜になり、國歩益々多難になつた事に吾人は目を蔽ふ事は到底出來ない。神州不滅は吾等の確信する所であるが、今後幾多の困難を迎へねばならぬ事は國民の深く覺悟を要する所である。或は是迄未だ嘗て經驗せざる窮地に足を容る事があるかも知れない。國難は必ずしも憂としない。只斯くの如き場合に國民が意氣沮喪するやうな事があるならばそれこそ眞に由々しき大事である。何程國歩多難の秋に際會しようとも、常に「神州不滅」の確信の下に軒昂たる意志を把持し莞爾として之に直面する剛志を確保して居る事が必要である順潮に昂然として傲る事は易い、逆境に在つて自若として再起を圖るものであつて始めて大國民と稱する事が出來るのである』と。

 既記説明の通り、この書籍は昭和四年に發行されたるものだ。皇紀二千五百八十九年。今より八十一年前である。

 我ら國民は此の間に敗戰を經驗した。遺憾ながらも占領期も經驗した。翁の言が示す儘、それまで經驗せざる窮地を經驗した。そして、現在、一見すれば確かに戰災の爪痕を見る能はずと雖も、果して此の窮地から脱せざるまゝ今日を迎へてゐる。占領期に甘受せざるを得なかつた諸々、作り上げられた數多は確乎として今尚ほ健在し、我が國民をして自繩自縛たらしめてゐる。

 今にして我らは清原翁のその憂慮が杞憂に非ざることを識る。而、その指摘も空文句に非ざることなしと確信する。
「神州不滅」の確信の基に、斯くの如くの窮地より先づは脱せむことを成す可し。即はち戰後體制の脱却なるべし。
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by sousiu | 2010-08-05 00:41 | 日々所感

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