たれか止むるものある、皇運を、衰微に向かはしむる者の暴走を。

神皇正統記に曰く、
『第十五代神功皇后は、息長宿禰の女、開化天皇四世の御孫なり、息長足姫の尊と申す、仲哀立てゝ皇后とす、仲哀神の教に依らず、世を早くし給ひしかば、皇后憤りまして、七日ありて、別殿を作り、齋こもらせ給ふ、この時應神天皇はらまれさせましゝゝけり、(中畧)かくて新羅、百濟、高麗=此三ヵ國を三韓と云ふ、正は新羅にかぎるべきか、辰韓、馬韓、辨韓をすべて新羅と云ふなり、然れどもふるくより百濟高麗をくはへて三韓といひならはせり、=を代(愚案、伐)ち隨へ給ひき、海神形を顯し、御船をはさみて守り申しゝかば、思ひの如くかの國を平げ給ふ、神代より年序久しく積れりしに、かく神威を顯し給ひける』と。

 同じく曰く、
『第十六代第十五世應神天皇は、仲哀第四の子、御母は神功皇后なり、胎中の天皇とも、又は譽田の天皇とも名づけ奉る、庚寅の年即位、大倭の輕島の豐明の宮にまします、この時百濟より博士をめし、經史を傳へらる、太子以下これを學び習ひ給ひき、この國に經史及び文字を用ゐる事はこれより始まれりとぞ、異朝の一書の中に、日本は呉の太伯が後なりといふといへり、かへすゝゝゝあたらぬ事なり、昔日本は三韓と同種なりと云ふ事の有りしが、彼の書を桓武の御代に燒き捨てられしなり、天地開けて後素戔鳥の尊、韓の地に到り給ひきなど云ふ事あらば、かれらの國々も神の苗裔ならん事、あながち苦しみなきにや、それすら昔より用ゐざる事なり、天地神の御末なれば、なにしか代下れる呉の太伯が後にはあるべき、三韓震旦に通じてより以來、異國の人多くこの國に歸化しき、秦の末、漢の末、高麗百濟の種、それならぬ蕃人の子孫も來りて、神皇の御末と混亂せしによりて、姓氏録と云ふ文をも作られき、それも人民にとりての事なるべし、異朝にも人の心まちゝゝなれば、異學の輩の云ひ出せる事か、後韓書よりぞ、この國の事をばあらゝゝしるせる、符合したる事もあり、又心得ぬ事もあるにや』と。(「校正 標柱神皇正統記」明治廿四年七月三日出版)



 小澤一郎も然り。菅直人も然り。現時の政治家もみな然り。總じて我が國の政治を擔當する者は、先づ我が先人よりつゝしんで歴史を學ぶことから始める可きである。左なくば彼より出で來たる志、總じて志と呼ぶに値する能はず。凡ては亡國の所以である。
 何ぞ日韓併合百年。三韓征伐の神託より一千七百十年であることこそ彼の國民而已ならず、我が國民も忘るゝ勿れ矣。



『帝國小史 甲號』(明治廿九年六月「文學社」發行)に曰く、
『斯くて、(神功)皇后は、武内宿禰といへる智勇ある大臣と謀りて、いよゝゝ御心を定め給ひ、御身には甲冑を着、劍を帶び、弓矢をたづさへて、男のすがたを裝ひ、船に乘り、兵を率ゐて、新羅に押し寄せ給へり。不意の事なれば、新羅の王驚きをそるゝこと大方ならず、我が軍の前に降參して、たとひ太陽西より出で、河水さかさまに流るゝことありとも、永く日本の屬國となりて、貢を奉ることは、かはることあるべからず」と誓ひけり』と。※()及び括弧内は小生による

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 皇運扶翼・皇業翼贊のこゝろなき者達による外交、げに哀しむ可し。げに口惜しむ可し。
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by sousiu | 2010-08-10 22:33 | 小論愚案

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