市民團體に對する小生の見解と、彼ら個人に對する誤解

 いやはや、すつかり殘暑を告げる蝉の聲に聞き入り、日乘の更新が遲れてしまつた。
まつたく面目ない。

 十四、十五日のことも書きたかつたのであるが、御清覽くださる皆さんと畧ぼ氣持ちは同じであると思ふ。
であるからして、兩日に賜はつた出會ひについてしたゝめたい。


 十四日は、「反ヤスクニ」と申す連中のデモを粉碎せむと、主に憂國清心同友會の呼び掛けにより、有志が集まつた。彼らのデモ出發地點は出來る丈人數を分散せず、我らは幟を立て、演説を行なひ乍ら、彼らの使用する會場・社會文化會館傍の交叉點で待つに至つた。その時のこと。
 在特會と稱する市民團體が日章旗・旭日旗・幟を持參し到來した。
 小生は在特會を識らない。個人的にわづかな知人はゐるが、其の會なるものゝ運動については詳しく識らぬ。たゞ、排外主義を掲げてゐる印象を持つてゐる。

 小生は排外思想は持つてゐない。
 何處ぞの保守派の講演でか、日本人は元來、“尊皇攘夷”の思想が備はつてゐると云ふ者があつた。でもそれは精確を缺いてゐる。“尊皇”は先天性のものだ。これは紛れもない眞實だ。だが、“攘夷”は元來備はつてゐるものではない。攘夷を日本人本來の思想と斷定するには多くの無理がある。上代より大和民族に排外思想なぞ、何處を見渡しても立證出來ぬ。寧ろ逆だ。進取の歴史だ。その進取が行き過ぎて、他國を無用に崇敬視するの餘り、彼らから輕んじられ侮られたことはあつた。その折には、古人の賢者は修正に務めた。
 聖徳太子の煬帝に當てたる書翰然り。伴天連禁制然り。鎖國然り。これらの一時點而已に注目して攘夷の先天性を説くのは明らかなる謬見であり、そもゝゝ斯くの如き政策・實行に至らしめたる因由を遡行して考へれば、誰れしも我が民族が排外思想を抱いてゐると斷定する能はぬ。
 そればかりか大和民族は多くの民族を同化してゐる儼然たる事實がある。この事實と如何樣に對峙す可き。。そは、皇謨の偉大と理會す可きだ。だのに義憤を抱くのは誤りだ。斯くの狹見は、世界皇化の人類誕生以來、無比にして壯大なる我が大事業の障碍と成る可き感情だ。
 
 但し、一ト度び攘夷の叡慮を賜はらむとき、途端に一轉、日本は全土に一氣千里、攘夷の熱風で覆はれるのだ。それは皇業を翼贊せむとする日本人の先天的性質がはたらく爲めだ。それが幕末、孝明天皇の御宇だ。けれ共、明治元年、明治天皇より五箇條の御誓文を賜はると、攘夷熱は息むに至つた。『智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ』。
 つまり、“攘夷”あつての“尊皇”ではない。“尊皇”あつての“攘夷”であつたことを、後世の我らに解き明かす何よりの證左だ。
 果して今上陛下の叡慮奈何と心得る可き。


 忌憚なく白状するが、然るが故に、小生は彼らの運動には好感を持つてゐない。
 小生とて日本人たるのひとり。雲上に攘夷の御心あらば、排外主義の急先鋒ともならう。狂人ともならう。鬼とだつてならう。一體、誰れに憚る可き。如何で遲れを取る可き。


 いさゝか長文になつたが、斯くの如く彼らを見てゐた小生、十四日の現場で彼らに御挨拶をされた。
 小生も挨拶で應へた。多少の會話も交へた。意外にも、まともであり、眞面目な人達であつた。
 彼らも去り際に、我々を指し「案外、禮儀正しい人達だな」と云つてゐるのを聞いた。

 大詔奉戴日には若者が「在特會の者です。いつも日乘を觀てゐます」と小生に聲を掛けて來た。
 この若者も意外にもまともであつた。その後も複數名、境内で在特會と稱する若者に聲を掛けられた。どちらかと云へば人物としては好感の持てる人達であつた。

 意外にも、とは甚だ失禮であるが、これは小生の先入觀による素直な感想だ。
 嘗て、小生、弊社機關紙や、他社機關紙でも彼らを批判したことがある。
 週刊誌や日刊紙でも市民運動の排外主義を批判した。その數倍、小生もネツトで叩かれたが…、苦笑。

 今尚ほ、上記理由に基き、小生は現時點での彼らの運動を決して日本主義に立脚したものと認める能はず。而、その運動には自づと限界があると考へ、期待することはおろか、好感を持つにも至らぬことは毫も變はりは無い。
 
 然れども、「在日外國人の特權を許さない」。この主張は正しい。
 大いに實行を促す可きである。然るにても、此の特權を許す主犯は我が政府にあることを忘れてはならぬ。
 たゞいま日本が病んでゐると見做すならば、その治療法は外科ではない。内科だ。つまり我が國政府の誤れるが爲めの病魔なのだ。
 罪人の主は我らが選良だ。特權を要求する在日外國人は好まざる客であることには間違ひないが、主ではない。主客顛倒すること勿れ矣。

 そして、彼ら個人々々は、決して異端兒でも無ければ、必ずしも常識や情熱なきものでもなかつたことは小生の偏見であつたことゝ、真摯に認めねばなるまい。市民運動の現段階が、五里霧中ではなく、紆餘曲折の状態であるのだとすれば、眞乎たるの日本主義的方向性を發見した時に彼ら若者は、偉大な力となり得るかも識れぬとさへ認識を改めた。
 求學求道に精勵していたゞき、彼らはその熱誠を勤皇に活かしていたゞきたいと希ふ。
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by sousiu | 2010-08-18 20:15 | 日々所感

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