河原日記

 九月三日。埼玉縣より望楠社・小田昇代表が來横。市村悟兄も亂入し、憂國談義に白熱。
 小田氏は儒教、朱子學や他の宗教についても詳しい。
 驚いたことには友清歡眞先生について學んでゐたことだ。
 實を申せば、小生の不勉強から友清歡眞先生の御存在を識らず、先日、小生の兄事する備中處士樣に御導きいたゞいたばかりだ。因みに福田邦宏先輩も先生については御存じで、毎月會報「古道」が送られてくるとか。定例會の日に、先輩より最新號をいたゞいた。嘗ては時對協と何らかの交通があつたさうな。奇縁とはこのことである。

 九月四日。森普亶先生の御招きにより港區芝にある「湯淺」へ。
 五十名ほどの團體代表者、協議會議長、ほか都内近縣の諸先生、諸先輩が出席してゐた。
 森先生の御人徳識る可し。黨派を超えた錚錚たる出席者であつた。
 歸りは福田邦宏先輩より田園調布で御茶を御馳走になる。
 しかれども、語るは憂國談義・・・・ではない。度重る見込み違ひ、詳らかには、福田派と信じて平澤派を次々と時對協の齋庭に御誘ひしたことで、我が派の立場が朽木の如く仆れつゝあることへの挽囘案だ。
 妙案浮かばず。こゝに至つては未成年者の加入を推進するのほかはない。

 九月五日。小生の地元の醫者が來横。食事を御馳走になる。この先生、小生の母校である藤澤市立大庭小學校の校醫である。醫師曰く、「卅年前、小學校で檢診の折、騷いでゐた生徒がゐたが今思へばそれは河原だらう」と。濡れ衣も宜いところだ。平澤翁と同じだ。何でも小生のせいにする。萬歩讓つてその者が小生であつたとしても、それは小生のせいではない。B型のせいだ。さて、その先生、かれこれ廿年の御付き合ひだ。そしてこの先生も愛國者だ。「愛國」は右翼の專賣特許ではない。かうした國を想ふ人達は小生の知るかぎりに於て、頗る多い。人物ありて場所なし、な丈だ。今の政界は、場所ありて人物なし、だ。斯くした日本の將來を憂ふる人達の集結は、偉大な力を發揮すると信ずるものだが、皮肉を籠めて云へば、それには今少し政治の腐敗をまつ必要があるやうに思へる。


 まつたく多忙の毎日だ。ん?“多忙”と云へば、それについて徳富蘇峰先生曰く、
多忙とは怠惰(なまけ)者の遁辭なり。今日爲す可きことを、今日爲さゞれば、必ず多忙なり。今年爲す可きことを、今年爲さゞれば、必ず多忙なり』と。
 先生の仰る通りです。汗
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by sousiu | 2010-09-07 22:30 | 報告

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