禽獸の爭ひを眺めんに。

 菅直人氏が首相に再選した。
 勝者がいづれにせよ、どちらにせよ、喜ぶ國民の多からぬことを察して見たらむに、今更ら乍、我が國に於ける“政治の貧困”を深く認識せずんばあらず。
 それ、百の益を産む漢(をのこ)と百の害を齎らす輩の爭ひに非らずして。
 即はち、百の害を齎らす徒(ともがら)と百の毒を齎らす徒の仲間爭ひなるものだから。

蘇峰徳富猪一郎学人曰く、
『即ち現在に於ける議會政治は、全國民の總意を代表するよりは、寧ろ特定の政黨の利益の上に立脚し、多數決の弊に陥り易く。一般の利益擁護に關しては遺憾の點が極めて多い。即ちその根本は多數決制である故、數が最後の決定權を有し、質が問題とされることは、比較的僅少である。これ即ち議會政治の弊の一である』(『満洲建國讀本』昭和十五年二月十一日「明治書院」発行)と。

法學士・笹川潔博士曰く、
『口に政界の刷新を唱ふる者先づ我當面の問題とする所の必ず老人政治の因習を艾除するに在るを忘るゝ勿くんば則ち幸也』(『大觀小觀』明治卅九年三月十五日「弘道館」發行)と。

 因習と云はんか、惡習と云はんか、戰後より引き繼がるゝ目下の政治體制を固守する限りに於て、國歩の脚下に逐時荊棘充滿致すこと何ら異なれるをみない。
 況や、今日の民主黨政權に於てをや、だ。


 而三思せよ。三思と云はず三百思せよ。今日に於ける國民の煩悶と苦惱と、そして絶望は、畢竟爲る可くして爲りた。
 因の及ばざるところ果も亦た無し、だ。因ありて果無くあるはなし。

 吾人は國家萬年長久の計を欲する。
 萬年と云はずんば、百年の大計を欲する。それをや不可なると申せば、五十年の中計を欲し、斯くも難題と申するに、廿年の小計を必要とする。

 今日の不幸は、小計すら無かつたが爲めの憂ひであることに誰れしも異論はあるまい。
 廿年前、バブルとやらに狂氣し、男性は金で女心を弄び、加之、女性も貞操を金員と引き替へ。働き盛りの世代は遊び盛りとなり、大計とまで云はむや小計それさへをも摸索するより毎日のアフター5の計畫に緻密となり、遂ひには肉慾と享樂の奴隸となり。あはれなるかな哉、願ふこと即ち、未來永劫、斯かる黄金萬能社會の維持される而已にして、國家の小計を顧みるは微少の國民に過ぎざる。微少てふよりも精確に看做せば僅少であつた。

 憤慨屋にとりて、固より今日の選擧結果はいづれにせよ憤慨する結果にあつた。
 しかし憤慨而已を續けてをる短見者流儀では小計は生じ來たらぬ。斯かる次第にありては、焉んぞ大計を得可けんや哉矣。

 吾人は萬年不朽の長計を欲する。
 但し現在、吾人をして協力一致のもと長計を得ずんば、先づ小計を獲得す可し。
 冒頭に“政治の貧困”と云うた。政治の貧困は“計畫の貧困”だ。計畫の貧困は“理想の貧困”より生じ來たつたものなれ。
 今日に憤慨せる、或いは溜息の漏れるゝ我が國民は、やがて訪れる十年後に今日の舊轍を蹈まむとす可し。

 幸か不幸か、インターネツトの普及によりて情報は異常なる膨大なものとなつた。
 不幸は、夥しくあるいかゞはしき發言に、國民の思想が混亂を招じ來たらしめたことだ。
 幸については、極はめて僅少と雖も、最早入手の困難と思はれた戰前の健全なる思想、先哲の寶文、古人の珠玉を識るに易くなつたことだ。僅少と云うた。僅少の有志が今、小計と云はず中計と云はず、大計を確立せんと崇祖の心もて純乎たるの日本的道統を再び世に顯現しようと鋭意努力してゐる。有志の僅少が、やがて賢人の膨大となる。それ丈の資質を、大體に於て日本人は有してをる。
 我が國にとりて新たな思想は押し竝べて革命の類ひであること忘るゝ勿れ。
 大計を欲せなば、吾人は是れを再び歴史の篋底より取り戻さむのみ而已矣。
[PR]

by sousiu | 2010-09-14 22:43 | 日々所感

<< 理想的田舍漢のすゝめ 本日のこと >>