理想的田舍漢のすゝめ

 小生は田舍者である。
 自宅は神奈川縣藤澤市といふところなり也。田畑も多く、狸と遭遇することも希有ではない。
 小生は幼稚園兒のころ、横濱市より藤澤市に轉居し、爾來、現在に至る。
 最近こそ兔も角、少年時分、近所には本當に何も無かつた。『やまか』といふ小さな店があつたのみである。
 それを餘り不便と感じなかつたことが、田舍者の田舍者たる證明である。

 今でも田舍者であることに聊かも劣等感なぞ抱いてをらぬけれ共、昨夜拜讀した『靜思餘録』(徳富猪一郎先生著、明治廿六年五月一日「民友社」發行)にて、田舍者に關する記述があり。思ふところありしが爲め、こゝに紹介したい。全國の田舍者よ、田舍者であるをおほいに自信持つ可し。

徳富蘇峰翁曰く、
人の常に輕蔑するは田舍漢なり。彼れ武骨なり、木強なり、王侯貴人の爲に悦ばれざるなり。貴女の爲に愛せられざるなり。彼は小説の世界に於てすら贔負少なき人物なり。況んや現實の交際社會に於てをや。一杯の葡萄酒も彼の爲に酌む者あらざるなり、一片の笑渦も彼の爲に獻する者あらざるなり』と。

・・・・いや。汗。翁の言も多少過ぎたるに。現在而已ならず、明治の御代に於ても、果して田舍者がこゝまでの扱ひを受けたる乎、否乎、眞相は識らない。
 而して翁は健筆を重ねられる。


 曰く。『~維新の革命に際してや、其の戰勝者たる月桂冠は何人の頭上に屬せしか。彼の楊枝以て箸と爲し、蜆の殼を以て椀となし、一粒の米を截分して之を喫する竹取姫然たる公卿、大名、若くは月代狹くして黒髮漆の如く、金銀作りの太刀を着け優倡然たる徳川武士にあらずして、却つて寒山霜を蹈んで狡兔を追ひ、茅屋に月を帶びて夜書を讀む所の西郷隆盛及び、彼を奉戴したる所の薩摩武士にあらずや』。

 曰く。『西郷隆盛は固より田舍漢たりしなるべし。彼れ未だ曾て西洋料理を喫するの法を知らざりしなり、聞く彼は實に斯の如き大口を開き小兒が梨を喫するがごとく麺包を喫したりと。彼は實に斯の如き人たりしなり。然れども斯の如き人たりしと雖も、彼も其一世の元勳たるに差支へざりしなり』。

 曰く。『田舍漢は何が故に斯の如く天下の大事を負擔するに堪ゆるか。彼れ爲す可き所を知れはなり。彼れ爲す可き所を行へはなり。彼れ道行きに頓着せされはなり。彼れ直截なれはなり。眞摯なれはなり。一氣奔注すれはなり。堅忍不拔なれはなり。紛々たる邪念俗慮の彼を煩はすものなけれはなり。失敗を恐れされはなり。成功に滿足せされはなり』。

 ふむふむ。更らに翁の言は進む。

 曰く。『吾人は嘗て化石谷なる者あるを聞く、其の谷に投すれば、木葉を投するも、木片を投するも、蟹を投するも、魚を投するも、總て忽ち石に化すると云へり。而して世に腐敗谷と云ふ者あり、一度ひ之れに投する時には、如何に頑石の如き田舍漢も、忽ち豆腐よりも柔かなる物體と爲る者なきにあらず。 ~中畧~ 吾人は我邦現今の都人士に對して更らに一言する所なし、然れとも世の田舍漢にして都人士を學ぶ人に向ては、一言せざる可らざる者あり。彼等は何が故に都人士を學ぶや。何の必要ありて都人士を學ぶや。何の欲する所ありて都人士を學ぶや。何の耻る處ありて田舍漢たるを欲せざるか。卷煙草を薫せされは以て一國の人民たるの資格には不足するか。葡萄酒を飮まざれば以て一國の國民たる資格には不足するか』。

 翁曰く。『彼れ田舍紳士よ、何ぞ都人士を學ばんとするや。彼れ田舍書生よ、何ぞ都人士を學ばんとするや。吾人は今日に於て變生都人士の日にまし増加するを見て、轉た浩歎に堪へざるなり。吾人か斯の言をなす所以のものは何そや。吾人か都人士を重んするの少きにあらず、田舍漢を要するの多ければなり』。

 翁結語にて曰く、『彼れ田舍漢なる者は、身健にして氣剛なり、彼は上帝の外恐るべきもの有るを知らず、彼は眞理の外服從すべきもの有るを知らず。彼の心は純白なり。彼の擧動は質樸なり。彼は冠冕の榮たるを知らず。麥藁帽子の何たるかを知らず。彼は何事の大事なりやを知らず、又た何事の小事なるやを知らず。彼は唯た日常爲さゝる可らざることを行ひ、自家の着歩する所よりして、歩一歩づゝ前面に向て進行するのみ。 ~中畧~ 彼は其の己に向て媚るを悦びず、何ぞ況んや彼に向て媚るを悦ばんや。彼は其の己に向て腰を折るを欲せず、何ぞ況んや人に向て腰を折らんや。彼の智識は深遠なるに非らず、然れとも適切なるなり。彼の辨舌は流暢なるに非らず、然れとも眞率なるなり。其の行くや風のごとく、其の止るや山のごとく、其の天眞爛漫たるや烈火の燃るが如くなり。清泉の迸しるが如くなり。嚴角屼立、朽葉積々たる地にも、尚ほ清泉は迸しり出るなり、焦土山をなし、炭塊堆を爲す時に於ても、尚ほ猛火は炎々として燃ゆるなり。彼の容貌風采は粗硬なり野鄙なりと雖も、其の光々明々たる精神は、之を透して、美絶、壯絶たらすんはあらず。吾人は斯の如き人を以て單に田舍漢とは謂はず、然れども之を以て理想的の田舍漢と謂ふ』と。
(※太字は蘇峰翁御自らによる)


 先日、火の國の住民たる志友と電話で會話したらんに、小生、彼に關東への移住を獎めた。
 固より輕い氣持ちの會話であり、彼も本氣にするまいが、それでも上記した蘇峰翁の文章を御借りして訂正せねばなるまい。
 翁も火の國の住民。加之、理想的の田舍漢だ。かの國に於て大江義塾も設立した。

 田舍漢は理想的田舍漢を志す可きである。

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by sousiu | 2010-09-17 00:30 | 良書紹介

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