先哲の魂魄を繼承す可し矣

●蘇峰徳富猪一郎翁『國史の鍵』(寶雲舍發行)に曰く、

○日本人が中國に對して、對立の念を生じたのは恐らくは聖徳太子以後であらうと思ふ。それ迄は中國を大國と見、文化國と見て、一目も二目も置いてゐたものであらうと察せらるる』(昭和廿二年十一月廿五日)

○『中國人の眼から見れば、日本の全島は兎も角も、九州そのものは、殆と中國に隸屬してゐたものと、考へてゐたかも知れぬ。從て元主忽必烈が、日本に向つて朝貢を促したる事も、又た明主が征西將軍懷良親王に、通信を促した事も、彼等としては、殊更に日本に對して、無禮を加へた譯ではなく、昔乍らの慣例に依て之を行ふたものと見ても差支あるまい』(昭和廿二年十一月廿九日)

○『隋書には日出の處の天子書を日沒の處の天子に致すとあり、書紀には東天皇謹て西皇帝に白すとあるだけの相違である。然し其事が何れにしても、聖徳太子の意氣込が、中國を全く對等と見て、兩敬の間柄視せられたる事は明白である。隋皇煬帝が之を見て喜ばなかつたのは、從來の中國の日本に臨みたる立場、又た日本が中國に對したる態度に比べて、彼としては寧ろ當然であつたと云はねばならぬ』(昭和廿二年十二月十二日)

○『我等は茲で初めて公式に、日本國家の自覺を見出し、日本國體の自信を發明したと言はねばならぬ。即ち聖徳太子を以て、日本歴史の一大道標となし、其の時代を以て、歴史の分水嶺となす所以のものは、之が爲めである。~中畧~
 思ふに聖徳太子が、餘りにも多藝多能、多才多智で在らせられた爲めに、却て日本の歴史上に於ける、最も偉大なる功績を、滅却とは言はぬが、朦朧たらしめたる憾みは少なくない。~中畧~
 殊に日本の凡有る宗派の佛徒は、皆な聖徳太子を、日本に於ける本尊と崇め、其の爲めに聖徳太子は、却て贔屓の引き倒しに遭つて、單に佛教のみの恩人であるかの如く思はれ、日本國家の大恩人たる事を、忘却せしむるが如き、看なしとしない。之は寔に遺憾である』(同)

○『中國は殆ど我が明治維新の中頃に至る迄、日本を對等の國とは、認めてゐなかつた。それを認めたのは日本だけであつて、事實は兩敬の間柄ではなくして、單敬の間柄であつた。然し必ずしも中國は、日本を無視したのでもなければ、輕視したのでもない。周邊の他同樣若くはより以上に、認めてゐたやうだ。端的に言へば、唐土以後に至つては、概して日本を、朝鮮の上に置いてゐたかのやうに、察せらるる。然しそれでは、日本それ自身が、滿足は出來なかつたのである。こゝに何時も兩國の間に、問題が出で來つた』(昭和廿二年十二月十九日)

○『我國の使臣は勿論、其の留學生若くは留學僧なども、若干の除外例はあつたとしても、何れも日本人たることを自覺し、其の位置を辱かしめざらんことを期した事は、彼我の文獻に徴して、知ることが出來る。素より彼等も、對等の立場を、維持することは出來なかつたが、然し決して僕々爾たる者でもなかつた。例へば我が副島種臣が、明治の初期に、使節として北京に乘り込んだる時に、叩頭三拜九拜の禮を強制せられたるに對し、慨然それに反對し、遂に我が所志を達し、列國の使臣も亦たそれに倣うた程の、意氣込はなかつたとしても、尚も日本國の品位を保つ點に於ては、決して遲疑する所はなかつた』(昭和廿二年十二月廿一日)

○『我が明治維新の改革なども、云はば日本書紀の主張したる精神が發揮せられ、若くは爆發したるものと言ても差支あるまい。要するに日本人は、中國との交通に依て、更に言へば、正式交通に依て、初めて自己を見出した。一面中國の文化に殆と陶醉したが、他面には、彼れ何者ぞ、我れ何者ぞと云ふ氣魄を喚び起し、自ら進んで、日本の存在を、自覺したるばかりでなく、其の特質、切言すれば、支那に對してさへ、優越する所を見出さんと欲し、此の如くにして、茲に日本書紀なるものは出で來つたのである。言ひ換ふれば、國内に於ては、徹底的に日本を、皇室中心として統一し、日本國民に向つて、皇室が中心であり、同時に又中心とせざる可らざる所以を示し、中國に向つては、一寸の蟲にも五分の魂、日本は決して、中國の外藩でもなければ、屬邦でもない。日本は自ら日本であつて、日本固有の獨立國であり、如何に中國の文化を注入しても、日本本來の面目は、決して失墜してゐないと云ふ事を示したものである』(昭和廿二年十二月廿二日)と。




 愚案。支那の思ひ上がりは最近に始まつたものでは斷じてない。加之、我が國の弱腰外交も、必ずしも現代の流行病ひなどではないのだ。
 さて。吾人の本領、歴史に試さるゝは此れからである。これを撥ね返す丈の健全たる國民精神の昂揚、以て擧國一致。これを實現出來る乎、否乎。それには蘇峰翁も仰せられる、國體明徴の志を我々國民が囘復することだ。しつこく云ふやうであるが、一に攘夷、後れて尊皇ではない。一に尊皇である。こは懼れながら名目而已の“尊皇”であつてはならない。尤も、“攘夷”に就いても“攘夷”であつて“排外”であつてはならない。

 謹んで恐察するに。我らの先人も古より、今日の我々が抱く苦惱を共有してゐた筈である。
 個人主義に染まる今日に比ぶれば、其の葛藤、煩悶たるや吾人の比較にならぬやも識れぬ。
 されど、先進は痛快にもこれを打破し給うた。そは國史に如實だ。
 汝、今、國を思ふとに、嘆傷と悲哀を覺ゆれば。これを脱せんとするに、偉大なる先人の遺しましたる偉業を乞ひ習ふべし。
 熟々もて我らが仕合せは、先人が凡ゆる艱難辛苦を乘り越えられ、其の先鞭を實證し歴史に遺してくれたことではないか。
 歴史に確りと先哲は呼吸してあられるぞ。これを忘れ、繙くことなく、ひとり苦惱する勿れ。
 國歩の行く、盤根錯節に撞着したる時は、迷ふことなく、我らが先人に尋ぬるべし。
 屹度先人は快刀亂麻を斷つの手掛かりを我らに授けてくれやうぞ。
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by sousiu | 2010-09-26 03:22 | 日々所感

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