北陸道での三日間の零れ話し

 阿形先生の健脚下、散策した三日間であつたが、御土産は近江町市場で買つた幾許の日本海の幸と、神奈川に見る能はぬ寫眞と、樂しい思ひ出と、今尚ほ續く筋肉痛だ。熟々、小生の運動不足を思ひ知らされた次第である。思へば既に馬齡を重ねること四十。ん?阿形先生、同行された水野、淺野兩先生も七十を越えるおん年だ。こと阿形先生は以前會津に連れて行つていたゞいた時もさうだが、兎に角、優れた體力を御持ちだ。此度びの最終日、兼六園に入る前は十五時ころであつたか既に我々は一萬歩近くを歩いてゐた。未だ先生は疲れた御樣子は毫も是れ無く。判つてゐたことだが、驚いた次第だ。


 出發前、三日間久々に夜はゆつくりしようと考へ、書籍を持參した。
「熱血史談 維新の人々」と「靖獻遺言」卷之一、二、三。
 なにせ神奈川に歸れば、機關紙製作の忙しき重勞働が待つてゐる(つまり今がさう)ので、この時ばかり、と心しづかに讀破しようといふ豫定を立てた。
 初日の夜は早目に布團に入つた。然し、歩きとほしであつた爲め乎、畧ぼ不眠の状態で出發した爲め乎分からないが、「熱血史談~」を二時間ほど讀み、遂ひに寢てしまつた。小生、久し振りの早寢であつた。

 朝起きて、持參した書物の讀破は諦めた。然し長時間寢ることが出來たので今日は夜更かししてでも讀書に專念出來ると考へた。當初豫定した全ての書物の讀破は最早困難であるが、溝口白洋氏著「熱血史談 維新の人々」(昭和十一年三月「有宏社」發行、五百十一頁)は讀破出來る。二日目の夜は、街で食事を御馳走になつた後、ホテルへ戻つた。飮料水も煙草もある。浴衣に着替へて、さア、昨日の續きを讀まうと思ひきや否や、何やらドアをノツクする音が聞こえた。珍客は目代直人兄であつた。部屋で飮まうと目代兄からの御誘ひであつた。曰く、「明日で歸へるのだから」と。
 御斷わり申上げるわけにもゆかず、誘はれるまゝ兄の部屋へ。日乘を御覽の各位には既に御承知のことゝ思ふが、小生は專ら烏龍茶だ。途中で鼻の良い水野先生が酒の匂ひを認め亂入したのを切つ掛けに小生は一端、部屋を脱出してノートパソコンから當日乘十一日付けの更新を行つたわけである。脱出間際、戻る約束のしたことを思ひ出し、既に散會したことを念じつゝ、おそるゝゝゝ兄の部屋へ樣子を見にゆくと、弊社門人の倉重君が部屋に拉致されてゐた。拉致と云はずんば、捕虜だ。然も倉重君は兄はじめ朱光會諸兄と酒を飮み、すつかり意氣投合して談笑してゐる。朱光會總隊長は斯くも甘い漢では無かつたといふ譯・・・・か。
 仕方なく、小生、檻中に入れられたる兎の如く兄の部屋に戻らざるを得なくなつた。
 解散後、自室に戻るとすぐさま寢た。
 「熱血史談~」は途中である。「靖獻遺言」に於ては頁を捲つてすらない。
 “豫定は未定”と何處かの誰れかが尤もらしく云つてゐた。尤も、だ。
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by sousiu | 2010-10-14 19:06 | 報告

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