墮落の六十五年を猛省する秋なるぞ 壹

 十月十七日、日曜日。

「文化傳承學會」の日であつた。既に先月、市村悟兄に、此の日に開催するてふ連絡を入れるやう申付けられてゐたが、すつかり忘れてしまひ、いつも御參加賜はる皆樣には大變申譯ないことをしてしまつた。
 日乘を通して御詫び申し上げたい。どうか御諒恕賜はらむことを。

 と云ふ譯で、此度びは雜談形式で行はれた。
 尤も、一文の價値無き小生の愚論を二時間近く聽くよりも、餘程其の方が宜しい。
 福田恆存先生も仰るとほり、正假名は占領假名遣ひの讀み書き出來る人ならば、難なく覺えることが出來るのだから。。
 雜談の御蔭で神奈川縣維新協議會諸兄の情熱もおほいに識ることが出來た。


 さて。戰前戰中を小生が詳らかに識る由もないが、少かるとも小生の識る、卅年ほど以前から今を見渡しても人心の腐敗は歴然だ。
 戰前の方々は其の幼兒期より、御國の爲めにと一心健全に育てられた。將來の夢は海軍大將といふ人達も多かつた、と。我こそは軍神となりて歴史に名を刻むとさへ志す兒童も少くなかつたと恐察する。而して億萬長者を夢見る人なぞ、皆無とまでは云はねど僅少であつたことも亦た事實であつたと思ふ。いづれにせよ、國家國民死生巖頭の際に於て日本精神は斯く純度を極はめ、且つ高調をみた。
 ところが戰後は一變した。國防を嘗ての敵國に委ね、兎に角經濟復興に專念した。
 こゝまでは兎も角。

 戰後政治の冷酷は、斯うした日本精神と共に生き、そして死するの人々を弊履を捨つるが如くとして仕舞つた。其の人達は、志逞しくある一方、利に聰い筈もなく、戰後の經濟成長に活躍の場を見出す能はなかつた。國民も國家の危殆に瀕するに、餘程彼らを英雄視したが、平時に於ては金儲けの巧みな者の下に相ひ寄り添ふた。

 誤解すること勿れ。金儲けを宜しくないと極論する積りは毛頭ない。だが、御國の爲めに、といふ志に價値を認めない戰後の極端なる方向轉換は多いに憤慨するものである。
 そは巨大なる情報提供機關である新聞社をはじめ、其の豹變振りには節操の微塵も認めるわけにゆかぬ。こと朝日新聞社は甚しい。
『日本週報』(日本週報社發行)第百六十四號(昭和廿五年十一月一日發行)、百八十一號(昭和廿六年七月一日發行)などに、人心一變して嘗ての皇軍兵士に對する、仕打ちともとれんばかりの文章が掲載されてゐるをみると、何とも暗澹たる思ひを禁じ得ない。~續く~

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※寫眞。「日本週報」表紙。
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by sousiu | 2010-10-18 23:58 | 報告

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