御無沙汰してをります。河原です。

 何と一週間以上も御無沙汰してしまつた。
 『同血社主人の一艸獨語』などてふ名前の此の日乘。
 主人が留守で、客人を待たせること一週間である。御客人皆樣には御無禮のほど何卒、御高恕賜はりますことを。
 虚け者樣の御來場にて小生も虚けが移つた。・・・・・のではいので惡しからず。


 打ち合はせが重なつたことも然り乍ら、專ら機關紙「天地無邊」の草稿に掛かりきりであつたが爲めの事情による。
 その「天地無邊」は、必然的に日中間のことについて多く記するところがあつた。
 昨日漸く脱稿。ありがたくも、御指導と御鞭撻を惜しみなく供してくれる福田邦宏主幹には、本道に心から感謝してゐる。(←この一文で少しは氣が收まつてくれるだらう、・・・・といふ他意はないので惡しからず)

 日中間については書きたいことが山ほどあるが(決して、悲觀熱にうかされての妄言や近視眼による怒氣ばかりではなく)、弊紙の執筆を終へたばかり。同じ時期に同じ内容を記すことになるであらうから、拙稿よりも先人の文章を掲げむことゝする。
 「久し振りに客と接して、先人の文章を拜借するのか」と痛罵を賜はりさうであるが。一週間と雖も小生、リハビリの時間を欲して已まない。


●蘇峰徳富猪一郎翁、『慨世私言』(昭和十年七月廿四日)「民友社發行」に曰く、
『 甘言は毒、苦言は藥。癪に障る惡口雜言でも、我が内省の資料とすれば、強ち無益ではない。最近倫敦の一雜誌に、バートランド・ラツセル(Bertrand Russell)が、日本と支那とを比較して、斯く云うてゐる。

  當今に於ては、支那内地の共産黨以外には、支那に於て、何人も日本に反抗し得るものは無い。けれども予は確信する、百年の後は、支那は隆興し、日本は衰亡することを。一時は支那を征服することは出來る。けれども永久には不可能だ。老子は曰く、大なる征服者は戰はずして克つ、能く人を用ふるものは能く人に下ると。二千年以來支那の繁榮は、其の大部分に於て、無抵抗主義の賜物である。但だこれが如何に生産主義と飛行機とに對して有效に使用せられる可き乎、否乎は、未判の問題だ。

 誰も支那に對しての觀察は、大同小異だ。必らずしもラツセルを俟つて之を知る必要はない。けれども百年後に於ける日支の豫言に就ては、我等は合點が行かない。支那が隆興すると否とは、姑く措き、支那が隆興すれば、日本が衰亡す可き理由は安くにある。
 けれども如何に此の豫言が、亂暴なる豫言にせよ、言ひたい者には之を言はしめよ。我等は之を一笑に附すよりも、斯る非常識の盲斷でも、採つて我が藥石とするに、何の差支があらう。我等は他より追從輕薄にて、煽て上げらるゝよりも、却て斯る無稽の盲斷を驩迎する。藥を毒とするも、毒を藥とするも、其の受用者の如何による。
 個人にしても、國家にしても、自己陶醉より危險なるは無し。信長や、秀吉も、これが爲めに致された。但だ之に鑒みたるからでもあらうか、家康のみは、最後まで自己陶醉の厄難を免れた。
 我が日本帝國は、世界に對して重大なる使命を授けられてゐる。徒らに眼前の小功利に沒頭して、其の小成功に陶醉するが如きは、決して此の使命を達成する所以でない。國家として自己陶醉病に罹りたるもの、前に支那あり、中に英國あり、後に獨逸あり。而して今や獨逸は漸く其の陶醉より覺醒し來りつゝある。然も其の代價は極めて不廉であつた』と。


 以上はラツセル氏の發言に對する、蘇峰翁の感想だ。而して七十五年後の久しき我ら、果たして兩者の發言に對する、如何なる感想を抱く可き。
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by sousiu | 2010-10-28 22:03 | 報告

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