『宣戰の大詔』より抄出  

●蘇峰 徳富猪一郎翁、『宣戰の大詔』(昭和十七年三月八日「東京日日新聞社」發行)第十ニ項「明治維新と尊皇攘夷」に曰く、
日本の國體は皇室中心であり、日本臣民の道は 皇室に向つて忠を盡す事であり、其他の事は總て此の大本、大體より割出し來るところの條目である。今日では君と云へば、天皇陛下で在すといふことは、國民學校の生徒さへも、能く承知してゐる。然るに明治の初期頃までは、尚ほ君と云へば、藩主の外には無いものと思ひ、例へて云へば、藩主が父であり、將軍は祖父であり、畏れながら 天皇を以つて曾祖父に擬したるものさへあつた。然るに其の舊來の陋習を一新する事が出來たのは、全く明治維新の賜物と云はねばならぬ

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 明治維新の改革運動は、全く尊皇攘夷の題目に依つて出で來つた。尊皇に就いては、固より天壤無窮に治しめす天皇を尊ぶ事であつて、天皇の外に君は無いといふ、即ち一君萬民の本來の面目に立戻る事であつて、それ以外に説明する必要も無ければ、それ以上に研究する必要も無い。
 併しながら攘夷の問題に至つては、多少の解釋が必要である。攘夷と云へば、夷狄を追ひ拂ふといふ意味であつて、之を排外思想の表現視するは免がれぬ所であるが、それは支那流の攘夷である。支那が即ち支那の周邊に群がる東夷西戎、南蠻北狄と稱する者に對する防禦を意味するものと、明治の大改革を請來したる攘夷とは、大いに趣を異にしてゐる。
 日本の攘夷は決して排外では無い。排外どころか日本は凡有る外國の人でも物でも、之を招撫し、之を綏服せしむる事を事としてゐた。即ち世界萬國の民をして其所を得しめ、世界萬國の民をして其堵に安ぜしめんとするが、即ち我が皇道であつて、排外は我が皇道とは絶對に相容れないものである。

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 從つて日本の攘夷は、排外でない事は明白である。日本の攘夷は即ち外國の勢力を以つて、日本を侵略し、日本の國體を冒涜し、若しくは日本の國權を蹂躙し、若しくは日本の國利民福を阻害するものに對して、之を掃討するの意味である。
 即ち蝦夷の亂を平げたのも、攘夷である。熊襲の亂を平げたのも攘夷である。元軍百萬の兵を討掃したのも攘夷である。而して廣義に云へば、明治二十七八年戰役も、三十七八年戰役も、乃至は滿洲事變、支那事變も、又た大東亞戰爭も、皆な攘夷の意味を擴充したるに外ならない
と。

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by sousiu | 2010-11-09 00:06 | 良書紹介

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