臣子弟のわきまへ

●元文三年戊午七月三日 谷丹四郎垣守大人『臣子弟のわきまへ』に曰く、

そもそも天人唯一の理を考ふるに、君父師の臣子弟を愛育し、臣子弟の君父師を尊崇するや、たとへば昊天の大地を蔽ひ、大地の昊天を戴くが如し。たとひ天上より大旱霖雨のなやみを下し、雷火龍風の怒を起し給ふとて、地下此が爲に怨憤を表はすの道あらむやたまたま、地震などいへる地につきたる變あれども、いはゞ臣子弟の身によからぬふさがりのあるが如し。一度ひらけて後は長き害となる事なからまし。されば、臣子弟より君父師を 天といへるは、深き理なりといふべし。されど、父子の中はたとひうきつらき憂ありとも、同じ氣血の分れぬるものから、親のなだめ、子の睦みも通ひ易く、なべての人にもさばかりふみ違へて、禽獸の境に落つる理の事は稀なり。まして日本、西土の書に父子の道を詳に説きつくすのみの親を持ち、子を養はぬ人もなければ、殊更に禿筆に委せずして、此に洩らし侍りぬ。君臣子弟の交りは、養ひを受け、教を蒙りぬるの切なるを、嬉しと思へど、氣血の通ひなくてや、一度離れて會ふこと稀なるためしも、珍らしからず。

 されどかかるたがひめは、君父師同じ理にして、天地に根させるの道なりと、明らかに辨へ知らぬの誤ならまし。あるは君に仕へて、諫行はれず、志あはざるといへるは、唐土の道にして、日本の人の心にしもあらず。諫を容るるも、志を盡すも、思兼神の長鳴鳥を集め、兒屋根命、太玉命の祈祷を盡し、鈿女命の俳優を行ひ、手力雄命の日神の御手をとりて、石窟より引出し給ふ如く、純一の誠を以て、己が身をありとも覺えず、思の儘を、つくろひなく表はす程ならば、など君に得られぬの患あらんや。なべては、西土の書に見馴れ、聞き馴れて、臣下は君に仕へて、諫を陳べるが當り前と許り覺えて、己が身はらひとやらいへる如く、たまたま思ひよりし事を、君に告げしとて、君の惡しきを語りて、己が身をてらひ、君の用ひ給はぬ時は、かしみづを受くべしと、兼ねて企てぬるは、われと凶相をもち出でぬるの類なるべし。用捨は君にありて、去就の臣より奏すべき事にあらず。たとひ、己が身に毛筋程の過なくて、三至の禮にかかり、不測の罪に落ちぬるとも、聊、怨み怒るの心なく、嬰兒の母を慕ふ如く、つめられ、たたかれても、泣く泣く、膝に這ひかかる思をなして、七年の病に三年の艾を求むるの、をくれながら己が心身を愼みて、再び日月の光を享けなんことを願ひて、音もなく、香もなきを、忠臣の操とはいふべし。

 菅相公(道眞)の恩賜の御衣の餘香を拜し、實方中將の臺盤一明の供御を思ひ給ふなど、臣たる者の鑑ならまし。彼儒學を唱へ、白眼にて、世上を見るの輩は、國體を辨へず、西土の道を偏執して、出處去就を己が儘になる事と思ひぬれども、聖賢の語にも、「仕へては則ち君を慕ひ、君を得ざれば則ち熱中すともいへらずや。をしのぼせては均幽操の天王は聖明なりの語を何と心得ぬるにや。君に事へて禮を盡す、人以て諂と為すの聖語など、よくよく味ひ見て諫むべきに當りぬとも、上と下との禮儀を亂らずして、宜しく、人は用ひさせ給へ惡しくは愚なるひが言の罪を許して、惠を垂れさせ給へと親に對ひて、言葉を盡くし、子を誡めて、涙を落すことなるぞ、誠の忠なるべけれ君の恥は己がはぢ、罪なくて君に棄てられぬるは、己がなやみよりも君の善からぬ名をや、とり給はんかと思ふ程ならば、世にいへる何事も、花とうけて、拜みたをすの罪もなく、又は罪なくて、配所の月を見るの患もなからまし。君の臣をあひしらひ給ふ事は、明らさまにいふも、恐れあらば、筆をさしをき侍りぬ。さても師弟の交をいはば、臣の君に仕ふるとは、少しく理の違めありぬべし。初めて學ぶ時に、よく道藝のそなはりたる人を選びて、其門に入るべし。たとひ、道を辨へ藝に達しぬるとも、生れつき腹惡しくまして、言と行の違ひある人ならば、必ずしも、師と頼むべからず。鮑魚の市にたちまじればけがれの香に染むる譬、忘るべからず。されど一藝一術の師といふものは、その藝術の優れたるを學びて、その人をば取らぬといふも、一つの理あるべき事なれと、それすらよく心をつくれば、道に缺けぬる人を君親の如く尊びぬるは、うるさき事ならずや。彼豐原の何某が、源義光の東の陣に赴きしを、慕ひ行きて樂の傳授を受け、博雅三位の夜な夜な、通ひて小幡の盲僧が秘曲を聞き得たるの類は、もとののせちなる千歳の後までも、ふかめしきためしなるを、源義經の鬼一法眼の兵書を盗み取り、根岸兎角が飯篠長意が病を見すてし類は、如何なる心にや。たとひ驪龍頷下珠なりとも、盗むの名ありて、何の寶とするに足らむや。たとひ萬人に敵するの妙手なりとも、恩を受けし師に背きて、運を聞くの時あらんや。藝術に執心の深きものは、罪許しぬべしといへるは、深く辨へ明らめぬ、ひが言なるべし。今の學術藝能を好む人には、適々、全服をもて一家の秘奥を傳はりあるは、樣々の謀計を企みて、盗み出しかすめ取るを、賢き事にして言行も正しからず、傳來も確ならぬ師門を立てぬるもありとかや、いかに昇平百年を經て、道も明に藝も詳なりとは雖も、かくまで淺々しく、己が力を盡すの誠もなくて、したり顔に重き事を取りはやしぬるは、いふにも堪へぬ罪咎、恐るべく愼むべし。さはいへ師を撰ぶ時に、かくとも知らで、本意ならぬ人を師と頼み侍りぬとも、己が幸の薄きを痛みて、聊、逆ひ戻らす一字一句の教を受けぬとも、其恩をば忘れざらん事を思ふべし。いはけなき時、辨へなく、異端の道に入、年たけて、惡しき事を覺らればとて、正しき道にふみかへぬるを、人に誇り、今まで仰ぎ仕へし佛をも、僧をも、口にまかせて惡し樣にきたなく、罵り笑ふは、顔の厚きとやいふべき。ゑよてうけられ(マヽ)侍らねまして、道の筋めのよしあしに、心つきぬる程になりぬれば、師を見限り、遠ざかりて、昔思はぬ惡名を師に負せて、己を立てなんとするの類は、馬牛にして、簪裾するにたとへぬとも、道たるにはあらじ。たヾ願はしきは、火々出見尊の鹽土老翁のさとしを、聞かせ給ひ、源義家の江帥の許を、腹立つ心なくて、軍傳をうけ、平泰時の栂尾明慧上人の訓導をうけひきし如く、聊、己が慢心雜念を加へず、純一の誠を盡くして、示教を仰ぎ、級を越えて、高遠に馳せざるを肝要とすべし。師弟の交は、西土の書に見えたるを則として、心喪を服するに到らば、彼天地に根させるの理に、違ふまじ。師の弟子を教ゆるの事は、その人にしもあらぬ身にて、明ら樣に筆を動かし難くてさし置きぬ。

 抑、君父師に仕ふまつるの道は、辱くも神國の大眼目にして、夫婦長幼の道も、悉く、此内に兼ね備はれり。されど涙つきて血をしぼるの實情、誠心なき人には此大事をつけがたし。愼むべし恐るべしといふことしかり

名月に ふむべき影も なかりけり
と。

○『君子弟のわきまへ』・・・本書は土佐の國學者谷垣守の著にして、臣子弟たるものの、君父師に對して、忠誠柔順の道を以て仕ふべき理を辨じたる一論文なり。垣守は有名なる谷奏山の長子にして、幼名を荒藏と稱し、後丹四郎と改む。國學を賀茂眞淵に學び、勤王の志篤し。寶暦二年五十五を以て沒す。・・・河野紫雲先生(『勤王文庫 第貳編 教訓集』大正九年一月卅日「大日本明道會」發行)の誌す。
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by sousiu | 2010-12-01 17:03 | 先哲寶文

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