2010年 12月 07日
友の死に際して
前日二日の廿三時三十七分、弊社參謀でありアジア青年黨々首でもある山田英君が肺炎の爲め幽明を相隔てたるとのこと。
山田君率ゐるアジア青年黨は平成八年に結成され、以降、淫祠邪教・日教組・左翼集團撲滅を共に鬪ひ拔いた仲間である。
平成十八年八月に弊社に加盟。山田君は若くして腎臟其の他を患ひ、人工透析を餘儀なくし、毎々運動の現場こそ出る能はなかつたが、弊社々員はじめ、同志・隣人に對しての氣遣ひを毫も忘れぬ好漢であつた。
また、山田君は小生と年も同じく、大庭小學校、同中學校の同窓である。彼もまた、相州大庭の住民であつた。その密接の關係は小學生の時分から卅年に及んだ、幼馴染みとも云ふ可き間柄であつた。
『右翼という生き方』(平成十九年八月「大洋圖書」發行)にて小生の項の寫眞、左から三人目が山田英君である。
十代のころ彼と毎日遊んだことや、毎日のやうに飮みにいつてゐた廿代が思ひ出される。抑も彼を運動家の道に誘つたのも小生であつた。
昨日(五日)は通夜式、本日(六日)本葬儀を終へ、彼との顯世に於ける訣別を惜しんだ。
右翼關係者、會社關係者、地元關係者、會場に收まりきらぬほどの參列者に惠まれたことが、彼の仁愛を語つた。
そして、生前、彼に對して惜しみなき御厚情を賜はつた諸先輩、諸兄には彼に代はつて衷心より御禮を申上げたい。
また一人、小生の隣人が逝くに際して、故相原修君の「死の國學」を拜讀した。なかゝゝ相原君の域にまで達せぬ小生、本道に情けない限りである。
by sousiu | 2010-12-07 03:26 | 日々所感