あしたのジヨー

『われわれは明日、羽田を發たんとしてゐる。われわれは如何なる鬪爭の前にも、これほどまでに自身と勇氣と確信が内から湧き上がつてきた事を知らない。・・・最後に確認しよう。われわれは明日のジヨーである』
 とは、小生の生まれた年、昭和四十五年三月卅一日に起きた「よど號ハイジヤツク事件」での聲明文である。

 昨日の報道によると、
『そろそろおれの出番かな。入學おめでたう。矢吹丈』
 と文章が添へられ、不詳の人物から兒童擁護施設にランドセルが寄附されたといふ。

 流石。「戰後最大のヒツト漫畫」の一つ「あしたのジヨー」。
 小生が生まれて初めて手にし、爾來魅了せられた漫畫である。昂じてボクシングジムまで通つたくらゐだ。苦笑。
 原作の梶原一騎氏は、「よど號の犯人の聲明文では複雜な氣持ちになつた」と囘想を記してゐる。作家の梶原一騎としては冥利に盡きるも、相手が相手だ。事が事だ。高森朝樹としては迷惑千萬であつたことが本音ではなかつたか。
 だが、今日の“善意の輪”報道では、梶原一騎としても、高森朝樹としても、幽界で嘸ぞ喜んでゐるに相違無い。「タイガーマスク」も氏の作品だ。

 久し振りに、心和やかなニユースだ。
 “おれゝゝ詐欺”やら、“振り込め詐欺”やらと、日本人にあるまじき事件が亂發せられるなかにあつて、斯うした報道は幾分、心の鎭痛劑の效能があるやうだ。

 徳には、陰徳と陽徳とがある。陰徳とは人に知られるを望まぬ厚意のことで、陽徳とは、人に知られることを望み施す行なひのことだ。
「徳を積め」とは聞かれる言葉であるが、この場合ひ、「陰徳を積め」といふことだ。
 陽徳は・・・見返りを求むる行なひ・・・であるから、陽徳は惡徳と換言することが出來る。

 “善意の輪”も、マスコミが過剩になると、何となく人工的な色彩を帶びてくるが、そこまで穿つこともあるまい。今囘ばかりは素直に微笑むとしよう。そして、マスコミの報道熱が冷めても、かうした心が人知れず廣がることを期待するのみだ。
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by sousiu | 2011-01-12 23:29 | 日々所感

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