マスコミと我が心掛け

 こゝ數年、實話系の雜誌を始め、保守系の週刊誌でも右翼運動が取り上げられるやうになつた。
 これについては樣々な正の效果と負の效果の、兩つながらの要素が含まれてゐるが、總合的に考へると、我らにとりて好ましい傾向だと思うてゐる。

 多からず小生も取材を受ける機會を得るが、その際、常に心掛けてゐることゝは、右翼に對する偏見、謬見を改めていたゞくといふ消極的な目的は無論のこと乍ら、積極的に雜誌を通じて啓蒙す可し、といふことだ。

 我が「天地無邊」は發行部數二千三百部。固より商業目的でないので、現在ではこれが限界だ。
 一部團體の努力の成果を除いて、通常、我らの機關紙が本屋やコンビニに置かれることはない。「天地無邊」も然りだ。さらば、今現存する雜誌などの媒體の、假令一頁でも二頁でも拜借し、我が情宣活動のひとつとしてこれを有用することは意義のあることゝ確信する。
 小生の場合ひ今は實話系を主として其の範圍を出でるものではないが、それでも實話系月刊誌、一部に付き十萬近くもの發行數だ。焉んぞ活用せぬ理由やある。

 但し、雜誌に掲載されることにより、更らに誤解を加へてしまふといふよりも、曲解されてしまふ愚は避けねばならない。これでは正に本末轉倒、載らぬはうが遙かに宜くある。況んや、極左を激勵したり、日教組議長と握手したり、護憲派のカンパ集めに加擔するに於てをや、だ。
 先づ考へられぬことであるが、若しも陣營の中に、そのやうな土蜘蛛の如き反日派連中と氣脈を通じる不心得者があつたとする。得てして、それだけでも怪しむに足るが、それでもまだ最後の一線として、所謂る恥の概念があるのであれば、人目を憚つてこそ然りである。さうした背信、癡態を憚ることなく、出版社に掲載を許可する癡漢、一體如何なる意によるものか。一度、御高説を拜聽したいものだ。

 因みに狹見と頑迷固陋とは違ふ。而して無恥と大らかも、その意を異にする。
 嘗ては右翼と同和は恐い、といふ出版界の常識があつた。
 同和に關しては小生の識る由もないが、右翼を取り上げる傾向が増したことは上記の如くだ。忘れてならぬことは、それ、運動に無關係なる一般讀者も無知のまゝでないといふことだ。媒體である出版社に對して、我が運動を掲載する以上の期待を抱くことは六カ敷くある。要するに、啓蒙效果の是々非々は、取材を受ける側の吾人にこそある。
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by sousiu | 2011-01-17 21:02 | 日々所感

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