反日の享受者となる莫れ矣

●日本民族覺醒の會々長 山崎幸一郎氏『天皇私觀』草地貞吾著(平成八年八月十五日「日本民族覺醒の會」發行)卷頭に曰く、
『近頃頻りに言はれる「皇室の民主化論」「開かれた皇室論」がさうであり、そして巧みに仕組まれた「夫婦別姓制導入」「定住外國人への參政權附與」及び「國籍條項撤廢」(在日韓國・朝鮮人等を縣や市の職員に採用するための)等々がそれである。右は何れも我が國の傳統・文化ひいては國體を破壞する何物でもない。が實は例の當事者たちは重々それを承知してゐる、いや承知してゐるからこそ、かくの如くこの運動に血道を上げてゐるのである』と。

 更らに曰く、
『次にもう一つ看過できないのは、最近しばゝゞ保守派と思しき識者?が、同じく保守的・良識的雜誌と評價されてゐるそれに書いた文章が、實は極めて「反天皇的」な眉唾物である場合が多いといふことである

『例へば昨年(平成七年)の「文藝春秋」(三月號)に載つた江藤淳慶大教授の「皇室にあへて問ふ」といふ 皇室及び 皇族批判がさうであり、今年(平成八年)の月刊「諸君!」(四月號)の小池順といふジヤーナリストの「敢へて『皇族』を問ふ」といふえげつない 皇室批判の文章がさうである』

『そしてもう一つは、そのやうな 皇室及び 皇族侮蔑の「反國體論」が、市販雜誌で全國津々浦々に流布されてゐるのに、これに對する批判の聲が殆ど上がつてゐない(江藤氏のそれには若干あつた)といふことだ。果たして今日の日本人の多くが、右の文章のそれを肯定してゐるのか?無知・無關心によるものであるのか?何れにしても由々しき事態の到來ではある

『昔(十年)前までは、「國體亂れて國體論興る」と言はれるほどに「反國體・反天皇的」言行に對しては、直ちにそれを駁撃・筆誅を加へたであらう、國體論者が大勢あつたと思はれる。昨今それが影を潛めてゐるかに見えるが、原因は何處にあるのであらうか』


 先日、保守派と自稱する、某市民團體の副會長と對話した。彼は、彼らの運動の支柱が、尊皇から發せられるものではない、と告白した。だが元來、日本人たるもの、と云はんか日本人ならでは、と云はんか、「夫婦別姓制導入」「定住外國人への參政權附與」「國籍條項撤廢」を反對する理由が、上記の如くある可き筈である。
 某氏は續けて曰く、「だから、それらの反日政策が雲散霧消すれば我々の團體は無くなつても宜い」と。
彼は僞りなくさう思うてをつたとしても、參加者は果して如何か。

 事情を詳しく識らないが、一般に聞かれる、「差別が無くなり困るのは、差別を無くせ、と訴へる人らだ」と。
 反日的言動、政策が發生し、始めて自己の存在が明確となる運動は、換言すれば、活躍する場を欲せんとすれば、反日的言動を俟たねばならぬ。それは政治ゴロ、新聞ゴロに明確だ。彼らは一見、政治の腐敗を糾彈するが、腐敗無ければ書く材料を失ひ、賣る可き紙を無くすのだ。極言すれば、腐敗根絶は、彼らの最も困惑する事態だ。コインに表裏の別あるも、畢竟同じコインであるが如く、政治ゴロ、新聞ゴロは、腐敗政治と腹背の干繋である。腐敗政治の享受者である。
 
 いやしくも保守派を自稱する者が、反日政策の享受者となつてはならぬ。それらが一掃された時、はかなくも共に消えて無くなる勢力を、保守派とは云へない。
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by sousiu | 2011-01-29 13:30 | 日々所感

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