日々是皇日

 廿八日。新橋へ行く。その後、今は茅ヶ崎市に住む母のところへ。
 遲ればせながら親孝行を覺え、近年、月に何度か顏を出す。思へば十代のころは親不孝者であつた。親不孝を自慢するほど愚かではないが、感心な少年時代で無かつたことは事實だ。

 廿九日。晝に起きて阿形充規先生の事務所へ御邪魔する。今日は都内で行はれる會合に隨伴。會合の席上で先生から「何か話しなさい」と云はれたので神皇正統記について駄辨を少々。卅分ほど前に歸つて來た。
 明日は早くから茨城縣結城郡へ。寢る前に日乘の更新をしておきたい。(機關紙は明日・・・・だ)



●草地貞吾先生、『天皇私觀』(平成八年八月十五日「日本民族覺醒の會」發行)に曰く、
天皇には一般國民のやうな家はない。だから天皇とか、天皇一家などといふ言葉は不當で、驅逐しなければならない
『われゝゝは、天皇といふやうな狹小にして非國民的な言葉を一掃して、從前のやうに 皇室と申し上げ、日本の全家庭はこの 皇室をそれゞゝ各姓氏の原點、大本と仰がねばならぬ』と。


亦た、
『神武天皇を第一代とする連綿百二十五代の 天皇はみな同一である。天皇には大天皇もなければ、小天皇もない。老耄の 天皇もなければ、幼弱の 天皇もない。天皇と申すかぎりにおいては完全に自己同一であり、一貫不動である。
天皇はアレクサンダー大王やペートル大帝のやうなものではない。然しまた、桀王、紂王はもとより、幽王や少帝のやうなものでもない。在位五十年を超ゆる 天皇も、在位一年に滿たない 天皇も、天皇たることにおいては寸分の違ひもない
天皇に對する差別、個性觀はやがて革命思想に通ずる。明治天皇は殊更に明治大帝と稱揚されることを喜ばれない。孝明天皇も 明治天皇も 大正天皇も、みな同一である。それは萬年杉の一貫生命にほかならない。天變、地異、豐年、歳荒などにより、年輪に肥瘠、大小は生じても、天空を摩する神木の生命は、無窮に連續發展するものでなければならぬ』と。



 テレビに流るゝ、所謂る「天皇」「天皇一家」なる不敬用語の連投は、その一事を以て反皇室の底意ありと見做すことが出來る。若しもこれ、短見にして過言であると彼らを擁護する者あらば、尠かるとも謹愼たる心ばへなきことだけは確かであること、何人も異論ありとしまい。かゝるマスコミに於ける不敬高慢、教育に於ける不遜傲岸を思へば、中井洽の如き賊の登場も別して理由なきとしない。まさに寒心堪へざる心地である。若しもこれを挽囘する祕策あるとするならば、そは我ら一人々々の努力に掛かつてゐる。不敬なる言葉を撃滅す可く啓蒙を續けてゆくことも、大切なひとつである。不幸中の幸ひとして、マスコミ、教育に對する不審が高まりつゝある昨今である。それには先づ、自らが不敬なる言を愛用しない。投じない。常日頃、これを心得、かたときも忘る可からず。
 萬里の道も一歩からである。
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by sousiu | 2011-01-30 02:25 | その他

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