一層獨語  

素朴な疑問


 巷に聞く。曰く、『國民の生命と財産を守る爲めに、國軍を創設せよ』と。

 ええ~?と思ふ。

 そのやうな動機と目的で軍隊を創つて果して宜しいものか、と。

 尤も、“民こそ主(あるじ)”と書く民主主義下ならでは、寧ろ當然過ぎる主張、歟。


 無傷で何もかもが防衞出來るのであれば、それは理想的である。但し、吾人は理想而已もて世界の流動を測定し、以て得策としない。現實には犧牲を拂はねばならぬ時がある。その最前線に立つ可きは軍隊であり、軍人である。
 『人の生命を守る爲めに』・・・・況んや、『財産』となん。「財産」て、何ぞ。貯金?不動産?自家用車?服?
 では、死生巖頭の淵に立つ可き軍人の生命と財産は誰れの保證するものと云ふ。


 嘗て、國家有事の折りには、人の命は鴻毛よりも輕くあつた。この、鴻毛の輕きに等しい生命あつてこそ、戰後に命を繋いだ機關や人たちがあつた。己れの生命を有事に捧げた人たちは、それを諒とした。だが、恩惠に授かつた側の銃後の一部には、戰亂止んで、戰前の價値觀の批判に趨つた。
 彼らは、生命尊重至上主義、個人主義、功利主義、民主主義をおほいに鼓吹喧傳した。古來から培はれたる我が精神文化を無理に歪めてまでも、かくの如き戰後の日本を築くに急いだ。

 『國民の生命と財産を守る爲めに、國軍を創設せよ』を、若しも、「自分の生命と財産」に換言出來る言葉だとすれば、こは、恐る可き願望である。女性や子供が、かく考へるのも已むなしとも思ふが(彼女たちに今はそこまで問はない、といふこと)、現在の日本に不足ありとするならば、憲法然りとするも、それ以前に、男兒自ら國防の任に當たる健全たる氣概ぢやないかな。


 小生は、軍隊は國家、詳らかに云へば、國體を護る爲めのものでなければならないと考へる。


 『國民の生命と財産を守る爲めに、國軍を創設せよ』たる動機もて軍隊が設立されたとして、果して一國を防衞するに足る士が集まるのだらうか。
 財産の、不當に損なはれんとする際、例へば詐欺やら強盜やら泥棒やら、そは警察機關がある。治安を守るのも警察の仕事である。
 それならば、『他國に侮られ、切齒に耐へず夜も眠れぬ。兵役を志願して軍人になり、やつつけたいから憲法を改正しろ』といふ主張の方が、まだ、理解出來る。
 あ。でも、さう思ひ、居ても立つてもゐられない人は、默つて日本刀持つて大使館へ云つたり、火炎瓶投げてゐるのか。なるほど。

 だから、『國民の生命と財産を守る爲めに、國軍を創設せよ』なんてふ動機で國軍が創設されると、おほくの困つたことが生じてしまふと思ふのだな。抑も、そのやうな生命尊重ありきの思想によつて誕生した軍隊では、心身共に鍛へ上げられた命も惜しまぬ侵略者を相手に、實踐では何ら通用しないことは明らかだ。

 成り手が乏しければ高給でつるしかないのが關の山。現状を考へると「徴兵制度」は無理だらう。それは制度として現状が困難である以上に、國民の精神の、それに耐へ得る丈の教育が實施されてゐないといふことだ。實施されたとして、さすがに、改憲論者が一轉して、「徴兵制度導入反對」とは、云はぬであらうが・・・。汗。
 いづれにせよ、見返へりを提示されて召集された軍隊は、次なる問題を惹起する。「それでも無いよりあつた方が宜い」なんていふ發想を小生は認めない。「今思へば、このやうなものが出來る前のはうが、まだ宜かつた」といふことなんざ、枚擧に遑がないのだ。過去に於ては、「中曾根康弘の靖國神社參拜」。現在に於ては、北方領土二島乃至三島「返還論」、東シナ海の「日中共同開發」等々・・・・。未來に於ては、自民黨の憲法草案從ひ改憲されれば、否が應でもさう思ふことゝなる。どれもこれも「無いよりもあった方がマシ」とばかりも云つてられないでせう?

 うゝむ・・・・・。やはり言葉は、啓蒙に於て重要たる可きもの。頗る正確に用ゐらねばならんな。
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by sousiu | 2011-02-08 01:19 | 日々所感

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