一艸讀後  ~靖獻遺言精義~ 一   

●靖獻書屋主人・法本義弘先生『靖獻遺言精義』(昭和十八年十月卅日「國民社」發行)に曰く、
『馬上天下を獲たる徳川幕府の、庇護獎勵に依りて、燦然として我邦に咲いた漢唐宋の所謂儒教文化は、徳川初期に於いては、馬上に獲たる徳川の天下を口舌を以て治めるために、換言すれば徳川幕府擁護のために、重大なる役目を果した。此の時に當つて、儒教そのものは完全に幕府の御用學に墮して居たものゝ如くに考へられる
 上下主從を規矩することに於いて、徳川幕府擁護の具たりし儒教が、幕府馬上の權の衰ふるや、一轉して儒教本來の革命的指導原理「王霸の辨」となり、王たる天朝のために霸たる幕府を打倒すべしとの理論を提供し、幕末維新時にかけて、王政復古將來への指導的地位を獲得せることは、日本史の示す通りである

『「林家の學」が其の意識せると意識せざるとを問はず、御用學なる象牙の塔に在つて、學問的にも思想的にも、且又實踐的にも、算術的發展を辿りつゝあつたに反し、處士學たる「崎門學」は、自由、活溌なる其の幾何學的發展乃至は飛躍によりて日本的ーーー皇道に醇化せる儒教を樹立し、幕末維新に當つては、儒教各派中、眞つ先に理論的中樞的なる指導的地位を鬪ひ取つた。從つて、日本的儒教ーーー即ち皇道に醇化せる儒教を説くに當つて、此の「崎門の學」は先づ其の首位に置かるべく、之が創始者たる山崎闇齋の名の永遠に銘記せらるべきは、固より言ふを俟たぬ

『山崎闇齋の「内外華夷の辨」とは、當時、儒者を風靡しつゝあつた支那崇拜思想ーーー支那崇拜の餘、支那を中國とし我邦を夷狄とする拜外自屈思想ーーーに鐵槌を下せるものとして、即ち文學博士佐伯好郎先生の所謂「大日本國民が『自我』の聲を揚げたもの」として永遠に重大なる意義を有する』

『支那文物の渡來以來、「文化的には專ら支那思想と支那儒教との指導に服した」我が邦人が、「精神的にも宗教的にも、藝術的にも、文字の上でも衣食住の上でも、多く支那文化を崇拜して止まなかつた」ことが歴史的事實なる限り、直接支那文化を取扱ひ、之が紹述の任に當つた儒者達が、支那崇拜に趨り、之を批判するに遑なかつたことは、寧ろ當然過ぎる當然であつたかも知れぬ。
 斯く、孔孟を措いて聖賢なしとせし時代の儒生達に向つて、孔子ヲ以テ大將トナシ、孟子ヲ以テ副將トナシ、我ガ邦ヲ來リ襲フアラバ如何」と問ひ、諸生の敢へて答へざるを見て、「我ハ奮戰、孔孟ヲ擒ニシテ以テ國恩ニ報ゼン、是レ即チ孔孟ノ道ナリ」と喝破せる闇齋に於いて、我等は日本化したる儒教精神を見、儒者山崎闇齋の聲ならぬ、日本國民しかも完全なる「自我」に目覺めたる日本國民の聲を聞くの思がするのである

『既に闇齋の學が日本的儒教なる限り、崎門に於いて紹述されたる儒教の指導的原理は、幕府擁護理論であり得る筈なく、當然幕府打倒の指導原理であり、章句の如何よりも實踐躬行を眼目となせる崎門の學なる限り、其の教理は單なる机上の學説たるに止まり得る筈なく、此の徒によつて紹述せられたる幕府打倒の指導原理は、やがて幕府倒壞への實行運動となり、白刃と鮮血とを以てする果敢なる尊王倒幕運動となつたこと勿論である』と。
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by sousiu | 2011-02-09 04:26 | 良書紹介

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