一艸讀後  ~靖獻遺言精義~ 三 承前  

 えゝと、一日目が、山崎闇齋先生について、二日目が淺見絅齋先生について、だつた。
 そこで三日目の今日は、愈々、淺見絅齋先生の代表的な一書「靖獻遺言」について、だ。

● 文學博士 井上哲次郎翁曰く、
『絅齋はいろゝゝ著述もあつたのであるけれども、其の中で最も廣く購讀されたのは「靖獻遺言」であつた。「靖獻遺言」は支那の忠臣義士にして、模範とすべき人八人を選んで、其の事蹟と其の詩若しくは文等を擧げて、且つ是れに關する議論を加へて、八卷として纏めたのである。
 その選んだ八人といふのは屈平、諸葛亮、陶潛、顏眞卿、文天祥、謝枋得、劉因、方孝孺である。いづれも人をして感奮興起せしむるやうな事蹟と文字とを遺した人であるからして、此の書を讀んで感動涕泣せざる者は恐らくは一人も無からう。若し感動涕泣せざる者があつたならば、其れは低腦兒か無神經の人であらう』

『思ふに絅齋が日本の「靖獻遺言」を編纂したい考へであつたであらうけれども、それは當時事情が許さなかつたのである。然れども今日は事情一變して、日本の「靖獻遺言」を編纂するのに何等顧慮するところは無いのである。即ち和氣清麿であるとか、それから菅公だの楠公だの、あゝいふ人を擧げ、それから徳川時代になつては山鹿素行、及び赤穗の義士、それから山縣大貳、武内式部それから吉田松陰だの、橋本左内だの、平野國臣だの、あゝいふ人々を擧げて日本の「靖獻遺言」を編纂することは最も必要なことである』と。



 淺見絅齋先生、忠臣義士の草稿を御決心なされるに曰く、
●『空言ヲ以テ義理ヲ説クモ、人ヲ感動セシムルコト薄シ。事蹟ヲ擧示シ、讀ム者ヲシテ奮然トシテ感憤興起セシムルノ愈レルニ如カズ

此書ハ忠ノ一字ヲ天下ニ宣傳スルモノナリ

此ノ書ハ、以テ天下ノ士ノ護身符トナスベシ、苟モ此ノ書ヲ讀ム者ハ、如何ナル亂離ノ世ニ遭フトモ狼狽スルコトナク、又不忠ノ念ヲ起ス者ナカラン』と。


 淺見絅齋先生、我が國の忠臣義士を綴れる初稿の擱筆に想到すれば。苦衷を吐露して曰く、
●『幕府開祖以來、楠・新田・菊池諸公ノ如キ、忠臣踵ヲ接シテ出ヅ。此等諸公ノ忠烈ヲ表顯スルトキハ、幕府ハ當然賊タラザルベカラズ。徳川將軍若シ此ノ書ノ幕府ヲ以テ賊ト爲スヲ見バ、自己ニ害アリトナシ、必ズ發行ヲ禁止シ、版木ヲ毀滅スルヤ明ラカナリ。然ラバ折角ノ志望モ、水泡ニ歸スルニ至ラン』と。

 上記の如く當時の事情を慮り、前稿の發刊を斷念せざるを得なかつたといふ。その切齒たるや小生どもの想像に倍するであらう。而して、
『如カズ、漢土ノ忠臣義士ヲ表彰センニハ』と。貞享元年(紀元二三四四年)より同四年の、四年にわたる歳月を費やし書き上げたものが「靖獻遺言」である。


 因みに「靖獻」といふ二文字は、「尚書」微子篇にある『自ラ靖ンジテ人自ラ先王ニ獻ズ』の詞に基く。

●靖獻書屋主人の曰く、
『「靖獻遺言」八卷こそは、支那文物渡來以來の直譯的儒教をして、純正日本的儒教たらしめたる山崎闇齋學派の、最も神髓とせる所を把握せる(絅齋)先生によつて、純正日本的なる、所謂皇道に醇化せる儒教の指導原理を集大成されたものと目して可なるべく、從來、幕府の理論的擁護者たりし儒教が、嚴格なる意味に於いて、最初に幕府否定の理論を提供せる、劃期的著述として擧示されるべきであらう。
 されば、此の「靖獻遺言」を措いて、皇道に醇化せる儒教を説くの不可は固より論なく、大義名分を明確にし、勤王思想を鼓吹し、王政復古を唱道し、以て明治維新の因をなせしものとしての本書の地位は、北畠親房の「神皇正統記」に繼ぎ、頼山陽の「日本外史」「日本政記」に先ち、水戸義公の「大日本史」と併稱せらるべきであらう』と。


●淺見絅齋先生の御高弟の御一人、中山專庵翁曰く、
遺言八篇ハ則チ前世未發ノ忠經、天下後世ノ人ヲシテ感奮興起シ、以テ忠ヲ竭シ、義ヲ秉ルコト有ラシム、亦百世ノ師ニ非ザルカ。
三綱ヲ千百世ノ上ニ振ヒテ、亂賊ヲ千百世ノ下ニ懼レシム、是ニ於テカ天下ノ君タル者定マレリ。其ノ國祚ニ大功アル者、震蕩磅礴、天地ト與に無朽タリ
』と。

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 續・・・・いてもいい?汗。
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by sousiu | 2011-02-15 16:22 | 良書紹介

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