一艸讀後  ~靖獻遺言精義~ 五 承前  

 昭和十八年、この「靖獻遺言精義」を上梓された法本義弘翁は想像だにしなかつたかもしれぬが、目下、日本は個人主義・功利主義・民主主義・自由主義等に汚染され自繩自縛の樣を呈してゐる。

 これによつて生ずる問題は社會の隅々にまで浸透し、今や大凡の國民が共有する憂慮の種となつてゐる。
 これを除去せんと思ふの人は年を負ふごとに増加し、それ丈街頭やら紙上やらに喧噪が重ねられる。尤も當然の成り行きだ。世は保守派の大量生産期だ。

 だが、喧噪に比して成績は覺束なくある。たとへ保守派が玉石混淆と雖も「左翼にあらずんば人に非ず」などてふ時代を鑑みれば、遙かに多勢となつたにも關はらず、だ。

 それ、とは、原因なきものとしない。
 以謂は、輸入されたそのまゝの個人・功利・民主主義を基幹とした上での保守思想であるからだ。
 則ち、外來思想に染まつた者の發想と應用であるのだ。今更らながら日教組教育の脅威を、大なるものとして認めなければならない。

 だが、徳川執政の世は、察するに今以上の自繩自縛の情態ではなかつたかと察せられる。その繩が現在の個人・民主主義ではなく儒教であつた違ひのあるにせよ。

 儒教が、山崎闇齋先生、崎門學派の賢人によりて我が皇道に組み込まれたことは、先賢の文章を抄録したことに明らかだ。加之、我が皇道を闡明とする一役を擔うた。崎門學派の偉業さることながら、小生は、崎門學派を産み給ひたる我が國體の偉大を思はずにをられない。

 當時、人心と制度を束縛する繩たる儒教が、却つて幕府を縛り滅亡へと導いたことは、何とも痛快であり、而して、我が皇國の偉大を改めて識らされるものである。崎門學派誕生以前には、誰れも思ひもよらなかつたことだ。況んや徳川家、幕府に於いてをや、だ。


 愚案。崎門學派の偉業から一つの假説が立つことを識る。
 若しも、我が皇國に、戰後の民主主義なるものが、當時の儒教の如く組み込まれ、同時に我が皇道を闡明にする役割りを擔ふ素質をわづかほどでも備へてゐるのだとしたら、と。

 尤も、皇道を基幹とせねば、それは儒教と同じく腐臭と毒氣を放つであらう。從つて、我が國體にとつて有用ならしめるものでなければならない。但し、今のまゝでは有用たり得ない。冒頭に記したとほりである。
 これを有用ならしめる發見のあらば、これは實に期待大ではないか。

 結論を述べれば、儒教は輸入されたまゝ我が國で應用すると害毒となる。
 民主主義も然りだ。
 儒教は我が先人の偉大と我が國體の威力によつて發展をみた。つまり日本化されたことによつて儒教の可能性は廣がりをみせたのである。
 果して民主主義は世界に廣がつた。だが、何國の民主主義も發展は頓挫し、我が國而已ならず弊害を放ちつゝある。眼前の世界の混沌は理由なきとしない。


 出掛けねばならないので、愚論も一旦中斷、更らに續く。
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by sousiu | 2011-02-19 11:51 | 日々所感

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