『夢醉獨言』に思ふ 上  

 嘗て江戸時代の武士に勝左衞門太郎惟寅なる放蕩者があつた。
 惟寅、幼名は龜松。勝家の養子となり小吉。隱退の後は夢醉と號す。祿高は四十一石。小普請組に屬してゐた。
 
 今日は、その彼れが四十二歳のころ著はした、『夢醉獨言』を抄録する。

 別段、深い意味も無いもので、寢る前に御時間餘まる方の、御暇つぶしに御一讀いたゞければそれで宜しとする。
 但し、夢醉翁による、相當の誤字が認められる爲め、能く々ゝ御注意のうへ御一讀されたし。
 括弧及び括弧内は小生による。



●天保十四年、夢醉翁四十二歳、『夢醉獨言』に曰く、


氣はなかくこゝろはひろくいろうすく
 つとめはかたく身をはもつべし

まなへたゝゆふへにならふみちのへの
 露のいのちのあすきゆるとも


 おれほどの馬鹿な者は、世の中にあんまり有まいと思ふ。故に孫やひこの爲にはなしてきかせるが。能く不法もの馬鹿者のいましめにするがいゝぜ。おれは妾の子で、はゝ親が親父の氣にちかつけ、おふくろの内(家)で生れた、夫(それ)をほんとふのおふくろが引取て、うはてそだてゝくれたが、がきのじぶんより、わるさ斗(ばかり)して、おふくろもこまつたと云ふ事だと。夫におやぢが日きんの勤め故に、内には居ないから、毎日々々わがまゝ計りいふて強情故、みんながもてあつかつたと、用心の利平治と云(いふ)ぢゞいが話した。其時は深川のあぶら堀と云ふ所に居たが、庭に汐入の池が有て、夏は毎日毎日池にばかりは入(い)つてゐた。八ツにおやぢが御役所より歸るから、其前に池より上りしらぬ顏で遊んで居たが、いつもおやぢが池のにごりてゐるを利平ぢゞにきかれると、あいさつに困つたさふだ。おふくろは中風と云(いふ)病ひで、立居が自由にならぬ。あとはみんな女計りだから、ばかにしていたづらのしたいだけして、日をおくつた。兄きは別宅してゐたから、なにもしらなんだ。おれが五ツの年、前町の仕事師の子の長吉と云(いふ)やつと凧けんくわをしたが、向ふは年もおれより三つばかり多きい故、おれが凧をとつて破り、糸もとりおつた故、むなぐらを取て、きりいしで長吉のつらをぶつて故、くちびろをぶちこはして、血が大そう流れてなきおつた。そのとき、おれが親爺が、庭の垣根から見ておつて、侍を迎ひによこしたから、内へかへたら、親父がおこつて、人の子にきづをつけてすむか、すまぬか、おのれのよふなやつはすておかれずとて、縁の柱におれをくゝらして、庭下駄であたまをぶちやぶられた。いまにそのきづがはげて、くぼんでゐるが、さかやきをする時は、いつにても、かみそりがひつかかつて血が出る、そのたび長吉の事を思ひ出す。
 おふくろがほふぼふより來たくわし(菓子)をしまつておくと、ぬすみ出して食てしまふ故、方々へかくしておくを、いつもぬすむ故、親父にはいはれず困つた、逸體はおふくろがおれをつれて來た故、親父には、みんなおれがわるいいたづらはかくしてくれた。あとの家來は、おふくろをおそれて、親父におれが事は少しもいふことはならぬ故、あばれほふだいだつた』

『おれが名は龜松と云、養子にいつて小吉となつた。夫から養家には、祖母がひとり、孫娘がひとり、兩親は死んだ後で、不殘(のこらず)深川へ引取り、親父が世話をしたが、おれがなんにも知らずに遊んでばかり居た。此年にたこにて、前町と大げんくわをして、先は二三十人ばかり。おれはひとりでたたき合、打合せしがついにかなはず、干かばの石の上に、はおいあげられて、ながさをで、したゝかたゝかれて、ちらしがみになつたが、なきながら脇差を拔きて、きりちらし、諸せんかなはなく思たから、腹をきらんと思ひ、はだをぬいで、石の上にすはつたら、其脇に居た白子やと云ふ米屋がとめて、内へおくつて呉れ、夫よりして近所の子供がみんなおれがてしたになつたよ。おれが七つの時だ』

 夢醉翁は幼年時代から斯くの如く、やりたい放題、亂暴三昧であつたと云ふ。

 少年へと成長してからも、夢醉翁の亂暴は一向に收まらず、そればかりか放蕩も加はり更らに不孝者となつてゆく。翁は再三、「武者修行に行く」と云つては家を飛び出し、放蕩に明け暮れ借金を拵へては戻つてくる。このころの記述は長文であるので、割愛する。
 夢醉翁の兄は困まり果て、三疊の部屋を座敷牢にして、翁を閉ぢ込めた。夢醉廿一歳の秋から廿四歳の冬までの約三年間である。これによつて翁の少年、青年時代の放蕩が如何に家族を惱ませたかが察せらるゝ。當時を振り返り、夢醉翁の曰く、『~内へ歸つたら、座敷へ三疊のをりを拵へ置て、おれをぶちこんだ。それから色々工夫をして、一日もたゝぬ内、をりの柱を二本ぬけるやうにして置いたが、能々考た所が、みんなおれがわるいから起たことだと氣がついたから、をりの中で手習を終て、夫から色々軍書本も毎日みた。友達が尋て來るから、をりのそばへ呼で、世間の事を聞て頼(たの)しんで居たら、二十一の秋から二十四の冬迄をりの中へはいて居たが苦しかつた』と。

 その後も翁の放蕩は絶えることなく、續いた。凡ゆる放蕩生活、浪人生活を繰り返し、社會の辛甘を嘗め盡した。
 しかし放蕩者・夢醉は晩年に至り、突如、我が身を省みる。而してこの「夢醉獨言」は書き綴られた。
 「夢醉獨言」は上記の如く、夢醉翁半生の懺悔録だ。以下は達觀後の彼れの子孫に宛てた戒め言を抄録したい。

 ~續く~
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by sousiu | 2011-02-28 20:02 | 良書紹介

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