儉約のスヽメ

●福澤諭吉翁『民間經濟録』 (明治十年)「第三章 儉約の事」に曰く、
『~塵も積れば山と爲る。儉約の極意は人にも云はれぬ所に在るものなり。一椀の冷飯、一筋の燈心、決して粗畧にす可らず。兔角人は眼前に澤山なるものを勘弁なく費やすこと多けれども大なる心得違なり。河に居て水を惜み山に居て薪を儉約するの覺悟あらざれば世帶は持てぬものなり。世の人に此覺悟なき證據を得んとならば彼の都會の地に出稼する田舍者を見よ。田舍に生れて粗衣粗食、一年に三圓の金をも餘すこと能はざる者が都會に出れば月に二、三圓の給金を取りながら一年の末に身代を勘定すれば三圓を餘さゞるのみか却て五圓の借越しする者多し。必(注・「畢」乎)竟都會に出れば己が給金の高きに由て油斷し、世間一般、暮しの豐なるを見て油斷し、金錢を見ること河の水の如く山の木の如く思ふの罪なり。油斷大敵、田舍への土産には唯惡病を携へて歸るのみ。斯る心得違は出稼の者のみに非ず、學問執行の書生にも甚だ多し。氣の毒なることなり』と。(原文は片假名。平假名表記、句讀點、括弧及び括弧内は小生による)
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 儉約は、景氣の善し惡しに關はらず、或いは自身の金運昇沈に左右されず、富者も貧者も相ひ通じてゆめ忘れてはならぬ心得だと思うてゐる。


●笹川潔博士『大觀小觀』(明治卅九年三月十八日「弘道館」發行)にも曰く、
富を獲んと努むるよりも、先づ貧に安んずるに在り、貧に安んずるは則ち貧を懼れざるの謂也』と。


「儉約」の語は常に財布のなかに所藏しておく可し。
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by sousiu | 2011-03-07 19:47 | 先哲寶文

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