不便により有難きことを學ぶ可し。不幸により幸福を悟る可し。

 放射能に關して情報が錯綜してゐる。昨日から今日に掛けて關東は雨であることから尚ほ更らである。
 野生は有事に際するの今日、民主黨批判に口角沫を飛ばす積もりはない。押し竝べて彼らは有事の去つたのち、自らで總括を行なふ可きだと考へる。斯くあらずんば、戰後最大の國難に對する無責任者と看做され、必ず後世、彼らは被告人として法廷臺に立たされることであらう。
 好むと好まざるとを今は扠て措き、情けない思ひを禁じ得ないが、今は政權を縦とする彼らの、黨略を度外視した善處指導が望まれる。それが到底絶望的たるにせよ、だ。彼らに一縷の望みすら託せぬものと斷ずるは、刻下の國民にとつて餘りにも殘酷ではないか。



 横濱は再び今日から計畫停電。
 眞つ暗の部屋で熊本の鈴木田君と意見交換。かうした時間を過ごすのも又た宜いものだ。
 被災地に過ごす人たちの心境を恐察すれば停電なんぞなんのその、とは今日に聞き馴れた言なるか。然り。殆どの人たちの率直な感想なのである。

 それでも通電されて照明が燈されると安堵する。被災地の電氣に不便してゐる人たちを思へば心苦しいが、これも素直な感想だ。
 大禍は何人も避け難くあることだが、目前たれば仕方がない。
 天を呪ふてはならん。されど人災は努力如何で最小限に留めることが可能なのである。

 被災地の人々は立場を越えて目下奮鬪努力してゐる。被災地にない吾人は、少しでも有事に役立てるのであるならば、おのが便利を提供したいと志願してゐる。而して不便の時にしか味はふことの出來ないことを味はふ良い機會と吾人は之を認め、積極的に不便を學びたく思ふ。

 かく思うたとき、かつて拜讀した本のなかにある言葉を思ひ出した。
●岡泰雄氏、『皇道讀本』(昭和十一年十月三日『會通社』發行)に曰く、
凡そ大きな幸福は感知する事が却つて困難である。街頭に立つて行くべき道を教へられると有難く感ずる。一圓二圓の施與を受けると忝いと思ふ。けれども、大陽の廣大無邊な惠澤には有難いとの感を起さない樣なものである』と。まつたくこの通りなのだ。

 而して岡氏は、皇道を世界へ宣布することの必須と困難とを力説するのである。曰く、『それと同じ樣に、皇道の行はれる國に生れ、皇道に依つて自己の生を厚うするを得つゝありながら、其れを感ぜないで、却つて、寸善分惠を仰々しく論じ、人を呪ひ、勝るを嫉み自己のみの聊かの幸福を希ふを以つて策の得た者と心得る習だから、皇道の有難味を知らしめる事は困難である』と。


 十六日。掛けまくも畏き 天皇陛下にあらせられましては、おそれおほくも東日本大地震に關します敕語を宣り下だし給ひました。
 大地鳴動と暗雲毒氣の狹間にありて、國民にどれほどの勇氣と希望が齎らせられたか計り知れない。
 こは國民にとりて萬事に勝る光榮、平成御宇の曙光たり。まことに勿體なき次第である。
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by sousiu | 2011-03-23 02:00 | 日々所感

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