水戸に於ける被災の爪痕

 昨日八日は、統亞連盟改進党・松尾秀雄党首の御厚意を賜はり、水戸の史蹟を見學。

 震災後、松尾党首より拜聽するに、幕末に奔走し、或いは悲運の最期を遂げられた志士の奥津城が、悉く倒壞してゐるといふ。茨城縣も頗る搖れの激しくあつたところだ。鈴木田君と早朝に横濱を出立して水戸に向かつた。

 常磐道の水戸出口を降りて市内に入ると、道路の段差は激しく、家々は瓦を失ひ、或いは壁には大きな龜裂を刻してゐた。
 
 我々三人は、松尾党首の引率のもと、早速、囘天神社へ向かつた。
 囘天神社の傍らにある「水戸殉難志士の墓」はおそろしいことに、墓碑はほゞ總倒れとなつてゐた。↓↓
f0226095_13184395.jpg

f0226095_131924.jpg

 藤田東湖、小四郎先生の奧津城も倒れてあつた。關鐵之介先生の奧津城然り。否、無事であつた墓石は遺憾ながらもほゞ皆無であつた。
 墓石がずれたものゝ、からうじて落ちることなく無事なものもあり、これを本に戻さむとしたが、迚も二三人で動かし難く、無念にも斷念せざるを得なかつた。もう一度び前日七日の如き地震(水戸は震度五強なり)があつたれば、間違ひなく落下し碎けてしまふであらう。

 水戸學を愛し、水戸の先覺を敬してやまぬ野生としては、事態は放置す可からざる一大事と思ひ、松尾党首の御誘掖を賜はり、これを管理する水戸市教育委員會及び水戸市に對して苦情を投じる機會を得た。おほくの先覺の墓參を終へた後、我々は市役所へ向かひ、水戸市教育委員會文化課々長及び、水戸市長公室祕書課代理と面談した。
 我々茨城、熊本、神奈川の右翼勢は、一个月も先覺の奧津城を慘憺たるまゝ放置してゐることに苦言し、早々に修復することを要請した。教育委員會竝びに水戸市は、修復には管理上の複雜な問題もあり、難航してゐることを告白。されど彼れらは一刻も早い復舊作業への着手を吾人に約束した。兩名は、先覺の碩學のみならず、烈士の御尊名を御呼び申上げるとき、當たり前と云へば當たり前だが、「先生」と敬稱することを忘れぬ役人であつたことから、口約束ではなかつたと信じてみたい。又た、彼れらは弘道館を世界遺産とする運動も行なつてゐるとのこと。おほいに頑張つていたゞきたい。

 殘念乍ら弘道館も偕樂園も損壞甚大、入場する能はぬ状況であり今は閉門してゐるとの由。
 市役所を出でて、再び松尾党首の御案内を賜はり、會澤正志齋先生の奧津城を參詣し、吉田松陰先生水戸留學の地を訪れ、水戸城跡地に掲げられる 昭和天皇御製碑を拜見、「大日本史」編纂之地を巡つた。
 松尾秀雄党首には心より感謝申上げる次第である。

↓↓ 寫眞下。藤田東湖先生乃奥津城。
f0226095_13363690.jpg

↓↓ 寫眞下。藤田小四郎先生乃奥津城。
f0226095_13372768.jpg

↓↓ 寫眞下。會澤正志齋先生乃奥津城。
f0226095_13382239.jpg

↓↓ 寫眞下。松陰先生水戸留學乃地。
f0226095_13392312.jpg

↓↓ 寫眞下。昭和天皇御製碑。
f0226095_13401591.jpg

↓↓ 寫眞下。大日本史編纂之地。
f0226095_13405475.jpg

[PR]

by sousiu | 2011-04-09 13:42 | 報告

<< もつこす歸へる 追記 >>