誤解を恐れず敢へて申せば。

 小生が、毎月、卑見を披露してゐる『芳論新報』で、いつだつたか「愛國」なる語は明治以降、輸入されたものであることを記したことがある。
 「愛國」の語は右左兩派に愛用されてゐることも指摘したうへで、我が國にとつて健全なる、所謂る現在呼ばれてゐる「愛國」とは、實は敬神・尊皇・崇國でなければならないことを述べたものだ。

 抑も、日本は神國である、といふ概念を持つ者に「國を愛する」といふ概念は有し得ない。
 「神」に對して愛する、といふ感情を捧げる人ありとするならば、小生はその者をあやしむほかない。
 「親」に對してさへ愛する、といふ概念は本來日本人のそれではない。愛情とは、親が子に抱く感情である。況んや、皇室に對してをや。若しさうした重大な思ひ違ひの生ずる可き理由あるならば、戰後のマスコミを始めとした“開かれた皇室”の風潮である。これを獎勵した者に、その責め大なるものあり、と斷言していさゝかも憚かるものではない。
 日本を「神國」「皇國」と信じて疑はぬ者がその「國」に對して素直に抱く觀念は、崇ぶことこそあれ、愛情といふ意識ではないのだ。
 よつて若しも「尊皇」と「愛國」が共存すると云ふならば、それは紛ふことなく「天皇機關説」だ。他ならぬ、天皇を「位」としてしか説明出來ぬ戰後憲法によつて、「尊皇愛國」の機關説者は増大した。愚かなり、戰後憲法。而、この一大事を忘れ、啻に憲法第九條に心を奪はれた改憲論者も等しく愚と申す可し。

 當日乘の客人各位に向かつて小生は「天皇機關説」の愚を一々説明する必要がないと思ふ。
 卅年、乃至五十年、或いは百年の先か、必ず後進の力によつて正しき尊皇、勤皇の義旗は翻るものと小生は確信し毫も疑ふものではないが、そのとき彼れらに、我れらをして「戰後の百年は、反日思想と天皇機關説が跋扈してゐた」なぞと皮肉、或いは指彈されるやうではならない。

 かうした話しを先日、時對協の定例會で話させていたゞいたのだが、その後の懇親會で防共新聞社遊説隊の近藤勝博君が小生に問ふに、「我れらは、右翼といふのも民族派といふのも愛國者といふのも、適宜に缺ける氣もする。では果して何と稱される可きか」と。小生は勿論、勤皇家の名稱が理想、と答へた。尤も、それは自稱ではない。後世さう他稱されるやう努めねばならない、とのことである。假り初めにも天皇機關説者だのと云はれるやうではならない。
 因めば、元治甲子禁門の役で識られる今楠公こと眞木紫灘、久坂義助、寺島忠三郎他諸先生は淀藩への哀願書に自らをして「草莽微臣」と稱してある。

 前囘、「草莽崛起の集ひ」で御世話になつた川畑先生が見事、船橋市議に當選したと朗報あり。
 愛國市議だの右翼市議だのといふと、それは何やら近付き難い黨派に屬する者として聞こえてしまふ。わざゝゞ「愛國」などと云はずとも、此度びの東北大災害を東北ひとりの問題として對岸の火事と看做す者なぞ誰れもをらぬ。東北大震災を刻下の國難と認識し、心を寄せる人ばかりだ。この状況を敢へて輸入された「愛國」の語を用ゐて云ふなれば、それこそ皆、愛國者ではないのか。
 「愛國」と「反日」といふ、いつの間にか干繋を圖式化され、夫々が立場を固定化されたことに小生は尠からず苦情を吐露しなければならない。それは本來、横一列の、然も對立構造ではないのだから。
 つまりは「崇國」とそれに未だ「及ばざる一派」、つまりは意識の高じたる者と未だ高からぬ者との干繋である。よつて對立の構造ではなく、正しくは、教師と生徒の干繋と謂つ可し。
 尊皇市議の今後の御活躍を期待したい。
[PR]

by sousiu | 2011-04-25 12:20 | 日々所感

<< 地震雲をみました 執筆をして思ふこと >>