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鶺鴒    

 半月ほど前へか、一个月も前へか覺えてをらぬが、宮城縣仙臺市の坂田昌己兄より聽くに、
 『震災後の仙臺で、神話に出でる鶺鴒をよく見掛けるやうになりました』と。

 はからずも野生、昨日、福島縣でひとりのんびりしてゐると、變はつた鳥が飛んで來た。
 小さくて、隨分綺麗な鳥であつた。
 暫く眺めてゐると、もう一羽同じ鳥がやつて來た。後から來た一羽は羽を廣げながら、先にゐた一羽に近付いてゐる。小さい乍らも、羽を廣げて歩く樣は見事に綺麗であつた。
 いかんせん、動きが小刻みに早く、呆けてはゐるが携帶電話の寫眞で撮影した。
 この鳥が坂田兄の謂ふ、鶺鴒ではないかと思ふ。
 因みに坂田兄の話によれば、彼れの會社の同僚や知人も、近頃變はつた鳥をよく見掛ける、と話題に上つてゐるさうだ。
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※鶺鴒・・・・・・だと思ふ(汗)。福島縣飯坂町にて撮影。


●日本書記 第四段一書第五 一書曰く、『
時有鶺鴒飛來搖其首尾。二神見而學之。即得交道』と。

 日本書紀によれば、伊弉諾伊弉冉二尊は、飛んで來た鶺鴒の尾を振るを見習はれまぐはひを御知りになつた、と一般に解釋、説明されてゐる。




●山崎闇齋先生、「神代卷風葉集」に曰く、『
○口訣曰、神交道を知らず、鶺鴒を見て自然に從ふ義なり。(「口訣」とは忌部正道翁著述『神代卷口訣』の事也)
○釋、鶺鴒、爾はくなぶり、○とつぎをしへどり、○とつぎどり、○つゝはなせどり、○つゝまなばしら、○以上五説あり。(「釋」とは卜部兼方翁著述『釋日本紀』の略也)
○古歌曰、世の中にいなおふせ鳥のをしへずば人は戀路にまどはざらまし。
○翁曰、鶺鴒は鳥の名、飛べば則ち鳴き、行けば則ち首尾を搖かす、蓋し二神其の首尾を搖かすを見て、交感の術を得、二氣亦動かざれば則ち化息む、是自然の道なり』と。(「翁」とは山崎闇齋翁をいふ也)
   ※括弧及び、括弧内は小生による。

●高屋近文先生、正徳二年「神道啓蒙」に曰く、『
曾て陰陽候を失ふ有り、則ち天神太占(あまつかみふとまに)を以て之を卜得(うらなひ-え)、乃ち牽俾を教ふ、又た交合の意氣を含むに逮(およ)びて其の術を知らず、則ち天地の精神之が爲めに鶺鴒首尾を搖かすを示す。二尊豁然として感通す、説者以て夫婦合歡の曲言と爲す。理に害無しと雖も、亦た益無きに邇(ちか)し。蓋し天瓊矛は天神授與し、純陽の消息、伊弉諾尊固有の寶器なり。是れ乃ち造化の始本、不測の徳用、日神月神及た大八洲國山川草木且つ精神を生むもの、茲に繇(謠の右側+系=よ)らざるは無し。然るに山河大地を生むの二尊は、造化と氣化とを以て也。日月兩神を生むの二尊は、形化心化に原(もとづ)く也。總じて之を謂へば造化、細かに之を論ずれば則ち氣化形化心化の異なるものあり。譬へば幸魂奇魂荒魂和魂の異なる有るが如し。復た術魂有り、是れ四魂は忽然として變異を一時に現ずるものか、於戲(あゝ)造化の至理神靈の玅(玄+少=めう)用、學者須らく工夫すべし』と。※上、同。


 因みに、垂加神道では、神代の神に四種の區別ありとする。四種の別とは、(一)に造化の神。(二)に氣化の神。(三)に身化の神。(四)に心化の神。
 天神七代、地神五代のうち、第一代國常立尊から、第六代面足尊、惶根尊までを造化の神とし、第七代伊弉諾伊弉冉二尊は造化にて氣化をも兼ねる神である、と。造化は形なく氣化は形がある。地神五代は身化の神にて形がある。伊弉諾尊伊弉冉尊を以て造化人事を交へ語り、以て天人唯一の道を開示してあると説かれた。


 伊弉諾尊伊弉冉尊の御前へに突然やつて來た鶺鴒。鶺鴒については詳しく知らないが、固より秋の季語と云ふ。震災後の被災地で多く目撃されてゐることを拜聽するに、何やら希望を感じる次第である。おやすみなさい。

by sousiu | 2011-05-02 05:58 | 報告

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