今日は謹みて「皇位」について思ひ至らしめよ   

●清原貞雄翁、「日出る國」(昭和四年十月十五日『精華社』發行)に曰く、
『我建國が悠遠の昔に在て今日迄一度も變更せられて居ない事と、我國がおのづからなる國である事、即ち我國の主權が當然存すべき所に自然的に歸して居る事との二つは、我國の皇位が絶對であると云ふ、我が國體に取つて最も根本的の事實を生む
 皇位が絶對であるとは、語を換へて云へば、現在主權を保持せらるゝ所の我皇室の外に主權が移る事は絶對に出來ないと云ふ事である。更らに語を換へて云へば、主權の保持者として我が皇室に代るべき資格あるものは絶對に存在しないと云ふ事である

『我國は最初から我皇祖の神々を中心として構成せられたものであつて、皇室あつて後に出來た所の國家である。人民あつて後に、皇室が之に君臨するに至つたのでは無い

『我國に於て皇室以外のものが主權を把持する事は、父を擱いて他のものが親權を執らんとする如きものであつて全く不合理である。之れ我が皇位が絶對であり、憲法にも明示してある如く、天皇は神聖にして犯(「侵」の誤りなり)す可らざる所以である』と。

 文中の「憲法」とは云はずもがな、大日本帝國憲法第一章第三條を指してをり現日本國憲法ではない。


●岡泰雄翁、「皇道讀本」(昭和十一年十月三日『會通社』發行)に曰く、
『凡そ世界の國々は、何れの國でも、概ね其の建國の年と云ふ者が分かつてゐる。則ち獨立を宣言した年とか、前の國を倒して代つた年とか、分離して各々一國となつた年とか、連合して新しい國を造つた年とか、色々な意味で建國又は開國の年と云ふ者がある。然るに我が國にはそれが無い。神武天皇の御即位元年を以つて皇紀の元年とはするけれども、我が國が其の年に出來たのでは無い。あれは神武天皇が天業を恢弘せさせ給ひ。大きな理想を以つて御位に即かせ給うた年であり、それから後を人皇の代と稱するが故に、其所に世紀を新にして紀元元年とは稱するけれども、其の前も日本國であり、天照大御神の立てさせ給うた天業は次第に傳はつて神武天皇に至つてゐる』と。



●柿村重松翁、「士氣鼓吹維新烈士詩傳 附浩然氣要論」所論に曰く、
天照大神の神子神孫は長へに我が大日本國に君臨し給うて沙礫は磐石となることがあつても東海は桑田に變ることがあつても皇位は決して動くことはない。天照大神が高天原にましまして天孫を此の土に下し給うたとき、「葦原千五百秋の瑞穗の國は是れ吾が子孫の王たるべき地なり、爾皇孫就きて治むべし、行けや、寶祚の隆は當に天壤と窮りなかるべし」と敕し給うた。皇位の尊嚴は此の神敕にて明瞭である』と。



●草地貞吾翁、「天皇私觀」(平成八年八月十五日『日本民族覺醒の会』發行)
■「天皇は萬世一系である」項に曰く、
『一切の遊星・衞星が太陽を中心として無限に整々たる公轉・自轉を續けるが如く、日本におけるあらゆる公的・私的の機關、組織、團體、職能、法人、個人は強大なる天皇の引力圈内にあつてこそ、眞に自由にして存分なる活動と樂しい人生の享受が可能である。萬が一にも萬世一系の絲が破斷せんか、それはすなはち萬有引力の破滅解消を原因とする萬物の支離四散と同じく、日本民族、國民全體の流亡悲慘の結末を招來することは、火を見るよりも明らかである』

■「天皇は人間であるとともに神である」項に曰く、
『戰後の流行語の一つになつた「人間天皇」といふ言葉の裏には、却つて神格天皇といふ意味が藏されてゐる。なんとなれば、分り切つてゐるのに殊更、人間天皇などといふ必要はないからである』

『天皇を神とするとき、はじめて日本國民は普遍的に天皇と接近し得るのであつて、天皇をたゞの人間としてのみみるときは、日本國民の極めて限定された一部の人間ばかりが天皇と接近し、大部は疎外されたことになるのである』

■「天皇の位は天位であつて地位ではない」項に曰く、

『現行の日本國憲法一條には「天皇は日本國の象徴であり・・・この地位は・・・」といふ具合に、天皇の地位といふ文句を使用してゐる。それはいはゆる憲法學上における國事行爲に關連する天皇の機能や權限についての規定的意味であらうが、私見をもつてすれば、元來、日本天皇には地位などといふものはあり得ない。地位といふのは人間のきめるもので、天皇の位は人間が定めたものではないからだ。強ひていふなら、天の定めた天位といふべきものだ

『清盛も頼朝も信長も秀吉も家康も家光も、絶對武力と權勢をほしいまゝにしながら、皇上に對しては平身低頭であつた。そして自然の天位を有せられたる天皇から、人臣最高の地位を下賜されたことに感激してゐたのだ。若しも萬一、天皇の位が地位で、誰にでも天皇になり得る可能性があつたら、それこそ恐ろしい世の中とならう

天皇は即位されるが、これは天皇といふ地位につくのではなく、天皇といふ天位、神格につかせられるのである。日本開闢以來、天皇以外に即位や踐祚といふ文字や言葉の使用が許されたためしがあらうか。そして天位につかれるのであるから、たゞ天地神明、皇祖皇宗の大前にご報告なされるとともに、全國民に告示するだけで十分であり、別に誰からも任命されたり、認證されたりする必要はない。天皇の位が地位になり下ることは、太陽が地に落ちるやうな結果とならう』と。


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 戰後の健全たる全日本國民は、現行憲法の第一條を注視せよ。而して、その原則たる『國民主權』に苦情を訴ふる可し。
 いみじくも日本人であり乍ら、戰後をまさしく戰後たらしめたる此の一大眼目を見過ごして、憲法第九條の是非を巡り喧々囂々するは、全然左翼ら至らぬ一團と目線を等しうするものなれ。彼れら反日・左翼らは、かくも忌む可き現行憲法第一條に只管ら滿足しきつてをる。『國民主權』の文字も十二分に謳歌し、これを彼れらの運動の基礎となし、際限なき自己權利の主張を展開してゐる。
 國防を滿足、充實ならしめる必須條件は、他でもない、擧國一致による。外からの侵略者に對してこれを排せんと欲するならば、武器、軍備のみに頼る勿れ。然らば我が國の一致團結は如何によつてか可能たらしめん。吾人は能く我が國とは何ぞや、と三思顧慮す可し。

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●齋部宿禰廣成大人、大同二年二月十三日、「古語拾遺」に曰く、
日臣命、來目部を帥ゐて宮門を御護り、其の開闔を掌る。饒速日命、内物部を帥ゐて、矛盾を造り備ふ。其の物既に備りて、天富命、諸の齋部を率て、天璽の鏡・劔を捧げ持ちて、正殿に安き奉り、并瓊玉を懸け、幣物を陳ねて、殿祭の祝詞まをす。〔其祝詞文在於別巻〕次に宮門を祭る。〔其祝詞、亦在於別巻〕然て後に、物部は乃ち矛盾を立て、大伴・來目は仗を建てゝ門を開きて、四方の國を朝(まゐのほ)らしめて、天位の貴を觀したまひき』と。
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by sousiu | 2011-05-03 06:49 | 日々所感

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