大正十二年の所説に思ふ

●『大正大震災大火災』(大正十二年十月一日『大日本雄辯會・講談社』發行)「目覺しき各機關の活動(八)軍隊の活動」に曰く、

『歐洲戰亂以降、世を擧げての遊柔惰弱の風潮は遂に軍縮!軍縮!の聲となり、而かも遂に軍縮は實現せられ、甚だしきに至つては軍隊無用論など隨所にその叫びを擧げ國民も亦、この聲に禍せられて軍隊を厭ひ、國民皆兵の實、將に地に墮ちんとしつゝあるの状態であつたが、這個の大震災は、遺憾なくこの風潮を打破して、軍隊の威力を示し、陸海軍の實力の如何に絶大緊要のものたるかを國民の腦裡に刻みつけるに十分であつた。事實軍隊自身も正に戰時以上の大決心大努力を以て事に臨んだかの觀があつた。

 實に大變災勃發後に於ける軍隊の活動は國民の信頼の的であり我等齋しく感謝して擱かざる所である。
 大變災勃發と同時に交通、通信の兩機關全く杜絶した中にあつて、逸早く無線電信を以て急を各鎭守府所在地に告げたのは海軍省であつた。そして又、急遽一、二艦隊に命じて多量の食料と物資とを芝浦に陸上げ、罹災民に供給し、以て飢餓の憂なからしむると同時に直ちに陸戰隊を上陸せしめ、陸軍と協力して不安な帝都の警戒にあたつて人心の安靜を保たしめた。

 つゞいて第二段の救濟方法としては震災救護委員會を急設し、寄るべき家もなき罹災民を各地に輸送せんが爲に、全力を傾倒し、その間の聯絡統一をはからんとして聯合艦隊の總出動を命じ、以て海陸の連絡をはかると共に、品川横濱を中心として物資の供給と罹災民その他の輸送に全力を集中した。

 勿論かくの如く機敏に全力を集中する事の出來たのは、無電の設備と、震災によつて何等の害をも蒙らない自由なる航海力を有すると云ふ有利な立場にあるからでもあらうが、其間海軍大演習を中止する迄の覺悟を以て專ら災害救濟に當つた絶大の努力と襟度とは、蓋し今次の大變災に於ける絶大の功名である。

 一方海軍がかくの如き敏捷應急の目覺しき活動を開始せる時にあたつて、戒嚴令は布かれて、陸軍も亦驚くべき努力を惜しまなかつた。

 即ち海軍が特有の武器である無線電信と絶大の輸送力とを以て事に當るに對して、陸軍は、直ちに飛行機を驅つて猛火炎々たる帝都及び横濱地方の災害を視察して、戒嚴司令官に復命、直ちに各地方の空を飛翔して絶滅せる交通、通信の機關を補ひ、更に又輕氣球、傳書鳩等を利用して各地の慘害を視察報告、以て應急の處置に當つた。

 同時にまた、帝都の消防機關の絶滅、火災を如何ともする能はざるの時にあたつては、得意の破壞力を以て延燒の恐れある建物を破壞して延燒を防いだ。實際三分の一ながらも、帝都を殘し得たのは一に陸軍の家屋破壞の賜と云つても蓋し過言ではないであらう。

 つゞいて鎭火後戒嚴令が布かれてからに於ける陸軍の活動は愈々本舞臺に入り、通信交通機關の復活、道路の整理、橋梁の修繕、假橋の架設、食料品其他の配給、傷病者の療養救濟等實に戰時以上の努力を以て不眠不休の活動を繼續し、一方東京、神奈川、千葉、埼玉等の各地に於ける秩序の維持と人心の安定維持の任に當り、軍隊ならでは、の感を一般の民心に深く刻み、畏敬感謝の中心となるに十分であつた。中にも鐵道道路橋梁電信電話等の改修に從事せる鐵道隊、工兵隊、電信隊等の勞苦と功績に至つては、正に技術兵の特色を遺憾なく發揮して餘りあるものであつた。

 その間戒嚴地帶に集中せる兵力は歩兵廿一ヶ聯隊、騎兵六個聯隊、砲兵七個聯隊、工兵十八個大隊其他各種の技術兵衞生隊等、之を換算すれば、六個師團の大兵力に垂んとしてゐる。

 國民よ!この軍隊の實力を如何に見んとするか!
 かかる非常時にのみ軍隊に感謝するを知つて、平時に於いては徒らに嫌厭、無用視するは誤れるも甚しきものでは無いか』と。(全文。太字及び赤字は小生による)
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by sousiu | 2011-05-07 02:04 | その他

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