日々發見、日々求學、日々求道  

 昨日は『芳論新報』脱稿。
 復古、還自然主義の國内に漲るを念じつゝ筆を・・・いや、キーボードをたゝいた。

 多少に關はらず震災に絡めた内容が多くなる。
 日々・・・とまでは云はぬまでも、今日、發見が多くあるからだ。

 そのやうな折、國難に遭遇して何ら禽獸と化す可からざるの我が眞相を記した先哲玉文に接す。
 尤も、大和民族は時間の經過と共に別人になるわけでもなし。固より我が國體の變はるでもなし。我が民族の本領も節操も、表層では變化あるも骨髓は今も昔も變はらぬものなのだ。

 されど先哲の文章はやはり凄い。凄いの一言だ。さう云へば先哲の玉文は今にして多く存し、加之、猶ほ曙光を放つてゐる。現在、國學や歴史に興味の無い者でも、一度は聞いた事があるであらう書名は一や二であるまい。さてゝゝ現在ベストセラーなどゝ騷がれてゐる保守陣營の一體何册の書が、百年二百年の後にも色褪せずに曙光たり續けるか。現代のみに通用する試論を思想と看做し、その論や書ばかりを重寶し、後世から「戰後の一時期は文運が衰へた」なぞと揶揄されないやう全國民・・・とまでは云はねども有志の求學求道に期待したい。


 小生は固より云ふまでもないが、戰後の保守には我が民族の本領を書き盡す力も乏しいと感じる。紀維貞翁の文章を以下に一部抄録したい。

 紀維貞翁、『國基』(安政二年)に曰く、
我が 皇朝 天祖 天孫、國紀を基としてより、以て今日に至る。 皇統綿々として、高きこと天の如く、重きこと地の如く、長く天地と、窮極あることなし。既に堯・舜の授禪なく、又、湯・武の放伐なし。是れを以て莽・操の纂奪なきなり。是れ極を立つるの美、然らしむと雖も、抑も亦た、水土に因りて、其の宜しきを異にするなり。雍冀の■■(解讀不能)、荊揚の稻粱、洞庭の■(魚+專=セン)、東海の■(魚+而=じゆく)、雲夢の芹、具區の菁、燕秦の粟、江南の橘、安邑の棗、水土の異なる所、物も亦た從つて變ず。燕趙に悲歌の士多く、秦に輕死の民多きは、是れ風土、之をして然らしむるなり。松膏を服する者は、其の心、欲寡く、葷韮を食ふ人は、其の心、淫なり。是れ飮食、之をして然らしむるなり。漢土の國たるや、瀕海遠きものは、數千里に至り、鱗介の屬、致し易からざるものあり。故に、上は王公より、下は庶民に至るまで、牛羊■(ケイ=鷄)豚を家に畜ふ。猶ほ、菜の園に在るが如し。大牢・小牢、以て天地を祀り、以て神明を祭り、以て賓客を饗す。凡そ祭あらば則ち殺し、賓あらば則ち殺す。其の他、冠婚殺さざるものなし。牛羊を殺すを視ること、猶ほ、菜蔬を■(屬+刂=き)るがごとし。未だ嘗て惻怛の色あらず。是を以て、仁厚の風壞れ、暴厲の俗作る。日に變じ、月に化し、遂に凶年餓歳、人、相食むに至る。猶ほ、禽獸の如く然り。人道の廢れたる極まれりといふべし。 皇朝開闢より、以て今日に至る、歴世の久しき、未だ嘗て兵寇の亂なきにあらず、天下の民、未だ嘗て飢饉の災なきにあらず。然れども載籍の傳ふる所、未だ嘗て、人、相食むを聞かず。水土の■(左:女+中上:山+中下:兀+左:攵=び)惡、風俗の厚薄、以て其の一端を觀るべきのみ』と。


 餘談であるが、上記抄録を見て分かるとほり、「皇」「天(-祖、-朝他)」や「神」などの文字には全て缺字がしてある。かうした文字を明から樣に書いては畏れ多いので、ちやんと敬意を表して字を缺いてある。今の子供達は「入力ミス」と云ひさうで恐い。
 先哲は文章の内容や理屈のみならず、文字にすら謹愼たる姿勢がありのまゝ示されてゐる。
 「かうした缺字は戰前戰中の軍國主義により斯う記すやう強制された」と何か思ひ違ひされた方の言を聽いた事があるが、それは誤謬である。敬神崇祖尊皇は強制されて廣まつたのではないことを、一々説明する氣にもなれん。
 現代の保守系雜誌や出版社に缺字せよ、とまでは云はぬけれ共、「保守」だの「愛國」だの自稱するほどなれば、缺字を當然とした先哲の心ばへと姿勢はおほいに學ぶ可し。
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by sousiu | 2011-06-11 13:48 | 日々所感

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