人心の同じからざることその面の如し  

 本日は、毎年九月廿九日に行はれる『反中共デー東京大會』の打ち合はせに參加。今年で十囘目となる。
 案内文は後日、當日乘でも告知するとしたい。


 政界は相ひ變はらず亂れる麻の如く、だ。なかゝゝ快刀亂麻を斷つの者、或いは大同團結を成すの者は出現しない。有事と云はん、平時と云はん。古今未曾有の人災下にあつて未だ民主黨は擧黨一致も儘ならぬ。
 民主黨の代表選も野田やら海江田やらとマスコミが騷いでゐたが、國民大半の本音は「どちらでも宜い」といつたところではないか。一ト頃から、「國民の政治離れ」が指摘されてゐるやうだが、ひとり國民の無關心にその責めありとすることは餘りにも亂暴といふものだ。
 古今、國民は確かに蒙昧の側面もあるかもわからぬが、敏感であることも是れ又た確かだ。要するに、政治に希望が持てないのだ。
 事實、菅が總理になつて喜んだ人の話しを聽いたことがない。鳩山の時だつて然りだ。喜んだのは彼れらの取り卷き連だ。國民皆が如何でも宜しい、とまでは思うてをらぬにせよ、希望を投ずるに價する一人の政治家がをらぬと思うてゐることも又た確かであらう。

 現在の政界に眞箇たる保守黨なぞ見當らない。保身黨ばかりだ。今日、國民の先頭に立つ可き者らが、政治を運營する者らが、一體如何なる手本を國民に示してゐるといふ。黨利黨略に留まらず個利個略、その殘黨は附和雷同、結局は離合集散。個々は己れの安泰を只管ら念じ、物慾色慾、名譽慾…、國事よりも私事を優先し少しも憚るところがない。彼れらの精神と生活を國民が眞似せんとすれば社會は、日本は如何なるといふのだらう。
 遺憾ながら、今日にみる日本の行き詰まりは、社會乃至政治制度の缺陷にある。だが、これでは觀察も五十點だ。正邪の混沌とする政界は、その住民の心の顯はれだ。つまり殘る五十點は人だ。然るに正邪の混沌、動搖、麻痺は政治家のみに非ず。一億三千萬總じて吾人は今日ある日本の醜態を鑑み、深く省察するところあるべし。

 我利我利盲者ならでは、今日の民主黨内部の不和は寧ろ當然のことだ。自民黨てふ巨大な敵に取つて變はらむとする迄は彼れらは協戮、一致した。政權を手中に收めた途端、時日も俟たず、終始この有り樣だ。視野に大觀なく、小觀あるのみ。眼中に國家なく、己れあるのみ。見識は將來になく、今日にあるのみ。結果、同士打ちの繰り返へしだ。

 されど。まことに殘念ではあるが、かうした同士打ちは我が周邊にも滲透してゐるやうだ。
 今日の會合の歸へり際に、三澤浩一先輩が今度、『河原をヤツつける會』だか『河原を懲しめる會』だか名前は失念したが、兎に角、野生にとつて迷惑千萬な酒席を開く、と云ふ。固より野生に懲しめられねばならぬ理由が思ひ浮かばない。
 てつきり野生は諸先輩から可愛がられてゐるとばかり思つてゐた。嗚呼、而もこの解同の糾彈會の如き計畫には横濱の瑞穗塾・伊藤満先輩も加はつてゐるとか、ゐないとか。義信塾の市村兄も誘はれてゐた。道の兄の如く慕つてゐた丈に未だ我が兩耳を信じることが出來ない。
 だが諸先輩の場合、一時間も絡まれてゐれば、その内、飽きて別な話題で盛り上がる。
 陣營は皆、清貧。利權に塗れた政界住人との、これは大きな違ひである。
[PR]

by sousiu | 2011-08-30 03:04 | 日々所感

<< 追ひ付き、追ひ越せ   殘暑候 皆樣御息災に御座候哉   >>