學問は樂し  

 時對協の先輩である大日本誠流社の森浩二會長が、四十歳になつたかならないかの頃、夜間高校に通ひ、御卒業された。
 一年生のころ曰く、「これまで、これほど學問が面白いとは思はなかつた」と。

 先日、某大學の教授から、「偶には大學でも遊びに來給へ」と御誘ひを賜はり、生まれて初めて大學の構内を見學した。
 案外、その大學では學生の禮儀が正しかつた。
 教授の務める某大學に入學するやう勸められたが、野生は高校の卒業資格を有してゐない。
 森會長の影響もあつてか、夜間學校か通信、或いは大檢でも宜いから高校を卒業して、大學に通ひたいものである。

 野生は我れながら惠まれてゐると思ふのだが、運動や思想面に於て、それこそ師と呼ぶ可き御方は決して少からず、又た私淑してゐる人もゐる。
 とは雖も、普段はやはり獨學に頼らねばならず、こと語學に就いては、今でもこれでも自分なりに苦勞してゐるものだ。

 八月は、支那の二十四史に興味を覺え、先づ司馬遷の「史記」に夢中になつた。
 最初に、藤本幸三、西野広祥兩氏の譯による徳間書店發行の『史記』を全卷讀破。いまいち彼の國々の歴史の推移と、登場人物が覺えづらいので、漫畫を讀んでみようと、小學館から發行されてゐる『史記』(横山光輝氏著)を購入。
 おぼろげながら何となく分かつてきたので、愈々先月末から、『史記評林』(寛政四年、松村九兵衞等版)に挑戰。今月一杯は掛かりさうだ。となると今度は、「宋書」だの、「漢書」だの、「魏書」だの、となつてしまふので、ほどゝゞにせんといかん。
 今更らながら、高校くらゐは卒業しておく可きだつたと思ふ。無事、高校を卒業した森會長には、敬意を表さずにはをられない。
 結局、獨學とは苦學である。それゆゑに野生は距離の遠近、年齡の上下に關はらず、師を求めねばならないのである。
f0226095_23173686.jpg

[PR]

by sousiu | 2011-09-09 23:15 | 日々所感

<< 今日は義信塾な氣分   追ひ付き、追ひ越せ   >>