求學とは、廣大にして深奧なるもの也   

 知己の友より連絡があり。餘談のなかに、野生が史記を讀むとは似つかはしくないな、と。
 その友人は維新運動とは無縁であるから誤解も仕方なくあるが、我れらが求學は決して、「反中」の旗を掲げてゐるから支那に就て何も識る必要がない、といふことではない。況んや文化、歴史に於てをや。
 淺見絅齋先生は大著『靖獻遺言』を世に出した。絅齋先生が支那崇拜の賣國奴かといへば、無論、全然違ふことの説明は無用である。

 以前、備中處士樣に拜戴した『友清歡眞全集』(「神道天行居」發行)には斯う記されてゐる。
 ●『靈學筌蹄』に曰く、『さて神靈學、人靈學、萬靈學、これを包括したる靈知學なるものは、「學」であるから何等かの信仰を基礎として出發してはならぬ。これを研究するには神にも囚はれてはならぬ。全く自由公平な立場に在て、冷靜に周密に研究せねばならぬ。正神は決して此の如き自由公平なる研究を咎めらるゝものではない。そして研究の結果、正しき理解のもとに美しき信仰、清き信仰、敬虔なる信仰に入るべきである。故にこれが研究には度量を大にして、佛儒道耶の所説は固よりのこと、その他自然科學、精神科學、及び諸々の哲學等にも、又た所謂靈的現象の種々なる實驗にも考へて公平な研究を積まねばならぬ。研究して後に排斥すべきものは排斥すべきであつて、研究もせずにアタマから此れは邪道だと云つて葬つて了ふ樣な人は、その心が既に邪道に墮して居るのである。

(中略)所謂神道なるものは古來種々の系統流派に岐れ、千年一日の如く啀み合つて居るが、余は如何なる神道説でも其の正しい處だけは採る。余の大嫌ひな兩部習合神道の如きも面白い處がある。又た余の排斥する朱子學の臭味を交へた儒學神道にも棄て難い處がある。如何なる時代の如何なる人も何れも皆な直靈を受けた天啓ともいふべき思悲、學説は必ず眞理である、若しくは眞理を補助するものである。故に之は採る。余の擧揚する眞の神道なるものは實は宇宙の大道で、決して狹くるしいものでは無い、大宇宙の惟神なる理あり道ある處に隨ふだけのもの、千峰萬峰打出自在である。併し邪説俗論を混用しないだけの活眼を要すべきは勿論』
と。

 野生による、好奇心の域を出でぬ讀書の程度に、何とも分を越えた文章を抄録したものだが、こは 皇運扶翼を志さむとする吾人の、總じて心掛ける可き姿勢と思ふのである。
 國學に於ける恩人、大壑平田篤胤大人も、佛教、儒教のみならず、道教、蘭學も學ばれ、西洋醫學、軍學、そして靈界の分野に至るまで廣く研學を重ねられた。
 先日、福永武大兄から拜聽した御話しでは、影山正治大人は、天文學まで學ばうとの御考へであつたとの由、驚くばかりである。
 然もそれはそれゞゝ無關係の干繋ではなく、密接に干繋し、詰まるところ國學の發展に寄與せむが爲めだ。いづれにせよ、先人の志の高さと求學心の旺盛には驚嘆已む可からざるものがある。裏を返せば、それもこれも、先達の、皇國の發展を熱願するが爲めであるを推量するとき、申すに及ばず野生なぞ、その足下に遙るか及ばざることを識らされるのである。


 とは云へ、くれゞゝも誤解なきように・・・。
 「公平な研究を積まねばならぬ」といふことゝ、『有事に際して右翼も左翼も關係ない』なぞと嘯き、「癡漢と手を組む」といふことゝは全然同じではない。念の爲め・・・。

 黒船襲來以降、外壓累々たる幕末の危機的超非常時に際して、志士乃至は官軍が、朝敵若しくは朝敵に成り得る左樣淺間敷き逆臣の心を抱く癡漢と手を組んで外壓に抵抗した事實は無い。組まうとした意見はあつたにはあつたが、そは所謂る『俗論黨』より生じ來つた邪説である。純然たる維新者の思考は、寧ろ、逆臣を放置してゐたから、有事に對應出來ない國柄となつた、といふものだ。だから穢れ拂ひが神州に必要と認めたのだ。然なくば“復古維新”でなく、“藩政改革”“幕政改革”で充分だ。因みに、逆臣や痴漢を放置してゐた最大の責任者は、征夷大將軍を筆頭とする、幕府だ。
 國を滅ぼすは外患に非ず、内憂にあり、と。超有事に際會したあの頃、危急の外壓を拂ふ前に國内で戰さが起こつたことは、一見遠囘りであり一面悲劇であつたかも識れないけれ共、正しき維新の見識・道程に從へば、そは必然であり、順序は全く至當である。
 左翼、反日に與してまで數を頼り有事を擔當せんとするその考へには笑止千萬、愚かの骨頂也矣。自身の無力を思ひ識り、その向上の努力を惜しみ、厚顔無恥にも政敵とすら連立を組まんとする戰後政治と同じ質の人だ。知らず識らずデモクラシーに汚染されてゐるといふ、何よりの自白に他ならない。
 支那や西歐ならばいざ識らず、神州に於ては、數にも、言論にも、然程の力なぞ籠められてはゐない。そは、盲信と云はずんば、過信と申す可き。建武中興、明治維新が後世の我れらに教へ給うること、そは、神州に於てその力最も大なるは、信仰なのである。
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by sousiu | 2011-09-12 16:11 | 小論愚案

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