おほみうた 

●山腰明將陸軍歩兵少佐『日本主義に關する問に答ふる雜話』(昭和十二年九月廿二日)に曰く、
『日本が世界萬邦に比類の無い獨特の光輝ある所以の一つは、申すまでもなく臣民が 天皇中心主義であることであります。然らば此の天皇中心主義を實現する爲に國民が如何なる手段を取り、また如何なる社會機構が實施されてゐるかと云ひますと、疑問が色々起つて、大いに考へさせられるのであります。天皇中心主義を口先ばかりで唱へてゐては何にもなりません。天皇中心主義を押賣りしたり、天皇の御名に隱れて自己の所説を強ひたりする樣な事實がありはしますまいか。天皇中心主義が眞に 天皇中心主義になる爲には、先づ何よりも神勅詔勅の意義を明瞭に認識する必要があります。殊に 明治天皇の御製は、其の中に 天皇の思召をはつきりと仰せ出されてありますから、この思召をしつかりと體得した上で、生命を屠して是を翼贊し奉る。こゝに眞の 天皇中心主義が存する事と存じます。
 皆樣も御同感の事と存じますが、御製に現はれた 天皇の御心盡しは實に到れり盡せりでありまして、社會萬般の事に就き各方面に亘つて御遺訓を垂れさせられて居られます。それで思想問題などと云ふ事も、たゞ 天皇の御製を體得し、奉戴し、是を實施しさへすれば、萬事解決する事でありまして、これに就て我々が此處で喋々説明を試みましても、其の萬分の一を盡し得ぬ、至つて廣い深い奧底識れぬ微妙な所まで穿たれて居ります。御製に就ては、大正五年、聖旨を奉じ、同八年編成奏上に係はる、宮内省藏版、文部省發行の、明治天皇竝びに 昭憲皇太后の御集がありまして、斯道に志す人は是非、左右に供へねばならぬ書であります。此の御製集さへ供へず、拜讀せずして 天皇中心主義を唱へて見た所で、結局觀念の遊戲に終りはしますまいか

 ~中畧~ 御製を拜しますと、天皇は根本原理に別け入つて御述懷遊ばされてありますが、其の御體驗、御蘊蓄の深さは、比較申上げては畏多い事でありますが、舊幕府時代以來の國學者、本居、平田、或いは大國隆正、玉松操等諸氏の境地などとは到底比較にならぬ程の差がありまして、御製に對する理解が進めば進む程、愈々以て神そのものゝ御性格が、益々明に拜察し得らるゝのであります。

 ~中畧~ 我が日本は神立立憲君主政體であります。天皇專制政體でもなければ、民主政體でもありません。民主政體でない事は誰でも判つてゐる樣ではありますが、それにしても與論々々と云つて、與論即ち多數決で國政を切盛りしようと云ふ傾向が多分にあります、是を左翼思想ーー民主主義と云ひませうか。又、天皇專制政體と云へば所謂る右翼思想になります。此の思想によると時の權力者が 天皇の名をだしにして色々と自分勝手な制度を作り出す恐れがありますから、これも結局上部階級の民主思想ーー官僚主義であると云ふ事になります。然るに我が日本では、天皇も決して自分勝手には事を行はれません。皇祖皇宗が遺し給うた惟神の大道を 天皇御自ら奉戴翼贊追求し、それを御實施遊ばして行くのであります』と。


 以上。抄録と雖も、山腰少佐の本旨に觸れるならばいさゝか長文となるので、已むなく、考へさせられた部分のみを拔粹した。

 「~中略~」以降の文章に關しては云ふまでもなく、當時、昭和初期の情勢、時代背景を考慮して一讀す可し。
 而して吾人は深く、氣付かされることがあらねばならない。それとはつまり、當時の右翼や左翼と呼ばれる人達と現代(戰後と申す可き乎)とでは大きな懸隔があるといふことである。思想的變異こそなかれ共、立場にせよ、方法にせよ、逆轉とまで云はずんば、おほきな變異の生じたことは認めねばなるまい。
 尤も、時代がそこまで一變したことも要因として擧げられよう。だが抑も、右翼や左翼といふ言葉がいつ頃から生じたのか勉強不足の野生には不明であるが、明治、慶應の志士たちを右翼と稱する文獻は一切、無い。さういつた文字すら皆無である。
 右翼乃至左翼はあくまでも、明治維新から久しくして權力の側から、政治學的分類として便宜上用ゐられたものと假定すれば奈何。
 上記、山腰少佐は、與論々々と云ふかの如き多數決主義者、民主々義信奉者をはつきり「左翼」と云うてゐる(・・・こゝで云ふところの少佐の「右翼」は、前記した所謂る「天皇機關説」者の事を指してゐるの乎)。これは山腰少佐の一見解として留まる可きものでないことは、それ以前に沸き起つた大正デモクラシーが、專ら、渡來した西歐的自由主義や個人主義の萌芽であつたことを鑑みれば瞭然である。みよ今にして各組合運動をはじめ、その名殘りは各方面に、反日勢力の專賣特許として依然逞しく存在してゐるではないか。

 以前、木川君であつたか(記憶違ひであつたら蒙御免)、曰く、『嘗て先人が、今の言葉で云ふところの“左翼”と看做す者は、君側の奸であつた』と。野生も左の如く觀察する一人である。だとするならば、右翼と呼ばれる者の本質は(「右翼」と云ふ言葉の是非に就ては暫く措き)、只管ら『皇業を翼贊、輔弼し奉る』者のことであらねばならない。それを妨害せんと企てる勢力、權力を取り除くことが本分なのだ。延いて云へば取り除かれる可き存在は朝敵だ。街に騷ぐ反日及び不逞な一團、精々デモ隊を組織するがやつとの未熟者を徹底、精勤して取り締まらねばならぬのは日本警察の役割りだ。嘗て北海道で、大日本愛國党の車輛に『警察官頑張れ!共産ゲリラを射殺せよ!』と横斷幕が掲げられてあるのを見たが、・・・「射殺せよ」の文句は兎も角、苦笑・・・、最近になつてその主張が正鵠を射てゐることに氣が付いた。

 ところで、他稱のみならず、自稱變人の廣島縣在住、洗心會主人國信隆士君は、定期的に子供達を集め、神社を拜借し、皆で御製を仰ぎ、大御心を學んでゐるといふ。今更らではあるが、單なる廣島の變質者ではなかつたと思ひ改め、誤解してゐたことの謝罪こそする積もりはないが、竊かに敬意の念を覺え始めてゐる。
 
 野生も世相にせよ思想にせよ混沌としたる今日に於て、今一度、殉道者としての謹愼たる心ばへを恢復し、道の原點に歸さむと努力せねばならない。それ取りも直さず、目下日本人は、如上にあるの如く、御製を拜し奉り、神勅を確信し、靜かなる自己維新を重ね、その上で隣人維新を爲し、將來の天佑神助を期することが肝要だと信じるからである。

 餘談ではあるが、先日、大東農場で、諸先生が展転社發行の『昭和天皇のおほみうた』(鈴木正男先生著『展転社』平成七年九月發行)を賞讚なされ、或いは現在品切れであることを殘念がられてゐた。これは故相原修兄も惜しまれてゐたことであつた。その場に居合はせた展転社の藤本隆之先輩は増刷を明言、その折りには是非共、有志諸兄の御一讀をお薦めするものである。

■昭和天皇のおほみうた  ↓↓↓
http://tendensha.co.jp/kokutai/koku113.html
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by sousiu | 2011-10-15 08:24 | 日々所感

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