動かぬ香車ですが・・・・  

 陣營の集會や行進は、進行や仕樣がそれゞゝ異なる。整列するところとしないところがあり。出動服着用、或いは不可、どちらでも可といふところも尠くない。
 どれが宜くてどれが宜しくない、なんていふものはない。自分達の行つてゐるものより宜いものがあれば、それを吸收するかしないか、である。肝心なことは、他の宜いものを認める力と吸收する力を養ふことであると思ふ。
 それとは別に、野生が他の縣で開催される運動に參加する際は、その土地柄とでも云ふのか、瀰漫する空氣とでも云はうか、それを肌で感じることを忘れない。これまたどの縣が宜くてどの縣が宜しくないなんていふこともない。それゞゝの雰圍氣の良所を學んで歸へるのである。
 さういつた點に於て、宮城縣陣營の雰圍氣も又た、多く學習する點がある。皆で陣營の基盤を沃土たらしめんと努力し、若者の成長を促す爲めに團體の別を越えて暗中模索してをられる。かうした努力が軈て實りあるものとなれば、若しかすると、三年後、五年後、十年後には宮城縣は人材の寶庫となるかも識れない。
 中々人は自分一人で育つことは困難だ。けれ共、「擧國一致」を訴へる人達が、たとへ右翼といふ限定された一つの世界であれ、限定された一つの縣に留まるにせよ、かうして夫々が自づと自分の持ち場職場をすゝんで全うし、分擔され、一丸となるに至れば、若者はその環境の中で屹度、伸び伸びと育つてゆくに違ひない。如何なる優れた種子でも岩の上では發芽すれども木にならず、沃土ありてこそ巨木となり得るのである。
 その一人が青年意志同盟青水塾の廣田大介氏(通稱、棟梁)だ。彼れは五年ほど前に青水塾に入塾。野生はその頃から彼れを識る一人であるが、自ら、人前で話しをすることが苦手だと云ふやうに、確かに口數尠く、話せば口下手であつた。

 ところが今度び仙臺での演説大會で、野生が街宣車に引き籠もり、久し振りに棟梁と話しをしてみると、これが又た面白い意見の持ち主で、更らに流暢に弁じ、彼れの主張凡てに於て同意出來る出來ぬは措くとして、その一所懸命物事を追求しようとする心意氣には感心せざるを得ない。嘗て人前で話しをすることが苦手だ、と云つた棟梁では無かつた。これも坂田氏を筆頭とした青水塾の土壤あつたればこそ、のものか。
 いかんせん、野生の尤も苦手な唯物史觀の話しや科學の話し。迂闊にも押され氣味となつてしまひ、このまゝ押され放しで歸つては關東軍の沽券に關はると木川智選手を招き、彼れに全てを託した。棟梁、木川選手と氣が合つたのか、更らに辯舌爽やかとなり、暇になつてしまつた野生は、今度は山川裕克兄を呼んで彼れと銀杏の話しとか、あまり覺えてゐないが、兎に角記憶に無い程度の話しをして時を過ごした。
 演説大會であるといふのに・・・。かういふ河原のやうな輩が、維新の駒の飛車角を、一トマスづつしか動けぬやうにしてしまふ不屆き者なのである。反省。
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↑↑皆に付き合はつてもらひ引き籠もつてゐるの圖(於:義徳塾街宣車、撮影:赤心義塾澤口真司氏)。多分野生の目の錯覺だとは思ふが、野生以外は皆樂しさうぢやないな・・・・・。



 ・・・こんな四隅にあつて、終始、動かぬ香車の如き野生に對しても、飛車角のやうな木川選手は優しい。彼れの日乘で、野生の日乘を宣傳してくれた。彼れは軈て、飛車から「龍王」に、或いは角行から「龍馬」となるかも識れないのに、精々「成香」にしかなれない野生を立てゝくれた。彼れの優しさに對するせめてものお返へしとして、野生は又た銀杏を拾ひに行かねばなるまい。
 啻に木川選手のみならず、今の求學求道に專心する若者には飛車角が多い。野生は四隅でぢつとしてゐる香車かも識れないが、尠くとも敵に奪はれて敵に左袒するやうな愚か者ではないので、それ丈は安心して欲しい。
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by sousiu | 2011-11-05 15:56 | 日々所感

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