平成の奇特な人たち  

 一昨日は時對協の總會竝びに忘年會があり、參加。もう一年が過ぎるのかと思ふ。
 時對協も年々人や團體が増えてゐるが、氣が付けば變な人ばかりとなつてきた。
 この日、新しく、『國賊天誅新聞社』の社主である、渡邊俊幸氏も加盟。
 この人は天下を家としてゐる脱藩人。おそらく名實共に野生の先輩となる可き御方だ。尤も野生の場合、望んで河原家から脱藩するわけではないのであるが・・・吁。
 兎も角、又た一人、奇特な人が入つて來た。

 定例會も忘年會も各地方から同志が上京し、おほいに盛り上つた。野生の坐る前は木川智選手。右は國信隆士選手。右斜め前は坂田昌己選手。左は壁なので、挾み將棋で完全に動けなくなつた「歩」の状態だ。
 彼れら三者はいづれも己だけは常人だと思うてゐるやうだ。特に勘違ひも甚しく思ふのは、坂田選手である。彼れにはいくら親切懇到に説明しても、自分がマトモだといふ認識を改めない。寧ろ、職場でも飲み屋でも自分が人氣者であると信じて疑はない。
 彼れは仕事着のまゝで宮城縣から新幹線に乘り參加。中絞めが終はつてまた仙臺に歸るのだといふ。それは感心であるが、何となく、巧く説明出來ないが、普通ではないことだけは確かである。
 彼れは誰れも聞きたがらない結界の話しをし盡して、そして歸つて行つた。



 さて。『寛政の三奇人』と呼ばれる人がある。
 高山彦九郎、林子平兩先生と、そして蒲生秀實先生の御三方をいふ。
 今日は蒲生秀實先生に就て觸れたい。尊皇の志高き先生は、蒲生君平の名で知られる。

●蒲生先生、能く能く同志に語るに曰く、
『君は八平のことを知つてゐるか。佛法が神洲に入つてから、帝王の葬も亦火葬を以て禮とする。八平は平安に居て、魚を賣るを業としてゐたが、後光明帝の儒學を崇んで佛法を擯け給ふに及んで彼は、火葬の舊例に從ふ事を恐れ、火葬は先帝の意に非ずと云つて泣々公卿に告げ歩いたので朝廷も即ちその儀を止めるに至つた、一魚賣りでありながら尚よくその力によつて帝の神魂を安んじ奉る事が出來たのだ』と(「勤皇烈士に學べ」昭和十八年八月卅一日「建設社」發行)


●「蒲生君平全集」編者、三島吉太郎氏の曰く、
『(蒲生)先生は初め鹿沼の鈴木石橋と云ふ先生に就いて經學を修め、忠義の狗となるとも亂離の人とならずの志を抱かれ、早くより國史舊記を渉獵して古學を興すの心に燃えてゐた
 ~中略~ かくて先生は九志の編述を思ひ立たれたが古の山陵多く荒廢して、その跡すら定かでないものがあるのを慨嘆され、まづ山陵志から着手されたのだ。爾來先生は古圖舊記を參考として、自ら各地を歴巡されたが、先生は貧しかつたので先づ金策で頭を痛めねばならなかつた。先生が親戚に金子十兩の借用方を依頼した書簡が舊宇都宮藩主戸田家に所藏され俗に「柿餠の手紙」と云はれてゐるが、これなど縷々百言、終ひには自分の如きものに金を貸與するのは「是亦天下第一の義擧に御座候」と迄書いて一讀、その赤誠に打たれるものがある』と。※括弧及び括弧内は野生による。


●「維新の史蹟」(昭和十四年六月一日「星野書店」發行)に曰く、
『歌人小澤蘆庵のもとに寄寓した彼(蒲生翁)は、この老歌人より厚き知遇を得て、その厚情の下に仕事(「山陵志」の著述のこと)を進めることを得た。日々山陵を踏査し、暑熱の中を汗にまみれて歸る君平のために、蘆庵が自ら湯を沸して汗を拭はしめ、彼の辭退を許さなかつたとの逸話は、老若彼等二人の交情の美はしさとともに、蘆庵自身の尊王への敬虔さを床しく偲ばしめるものがある。また傳へていはく、一日君平が酒氣を帶びて子の刻(十二時)に至つて漸く歸宅したが、彼を信頼することの厚かつただけに蘆庵の甚しい憤激を買はねばならなかつた。しかしそれに對する君平の辯解は「山陵の搜査を續けて歩き廻るうちにたまゝゝ等持院に至り、足利尊氏の石塔を見出し、逆臣尊氏への憤恨たへがたく杖をもつて鞭ち、懲虐叱咤せしも餘憤なほ去らず、酒をあふるに至つた」と、直情徑行の彼の性格をもつともよく語る好個の逸話であらう』
 而して曰く、
『彼は遂にその死に至るまで世人に容れられず、晩年は專ら著述の中にわづかにその慰めを見出してゐたが、文化十二年七月五日不遇のうちに江戸に歿した。「君平傳」に馬琴は評していふ「奇人にして世事に疎く候ゆゑ、知らぬ人そしる人多かりし」と。推移流轉する時代の歴史の潮流の中に見る時、彼の生涯は來るべき新日本誕生の、維新革命の機運への伏線としての一存在に過ぎなかつた。しかしながら多彩奇行を極めた彼一個の人生は、異端視の中に終始した悲運なりし英雄の一生であつたが、彼が半生の意力を注ぎ粒々辛苦して大成せる「山陵志」は、なにゝも増して報ひられざれし彼生前の名譽を、後世の人々に求めて憚らぬものがあるであらう』と。※仝。

 先月、蒲生秀實先生の著する『山陵志』を拜讀。
 去る夏、大阪の志賀智仁君宅に泊まつた際(餘談であるが、この志賀といふ友人も又た奇特な漢である)も、一度讀んだのであるが、六ケ敷く、容易に解する能はざるものであつた。けれ共、その後、御歴代の御追號を覺えてから、再び讀んでみると、今度は案外親しみ易く、比較的解することが出來た。
 御陵に就て造詣を深めたく、更らに『勤王文庫 第三集 山陵記集』(大正十年七月廿日「大日本明道館」發行)を購入。
 昨夜は松下見林翁の『前王廟陵記』を拜讀した。こちらの方が、淺學非才の野生には入り易い。馬齡を重ねる四十一、遺憾ながら中々頭に入らなくなつてきてゐる・・・。
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by sousiu | 2011-12-03 22:54 | 報告

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